エリトリアの首都アスマラ。 一時エリトリアを植民地支配したイタリア人が作ったコロニアルスタイルのイタリア建築が【凍れる状態】で残る美しい町である。長い独立戦争で、大きく破壊されていまだに回復していない町も多い中で奇跡的に破壊を免れたラッキーな町。 美しいといっても、そこはアフリカ、小路を入ると、みほそうだし、かたむきかけたビルに人が暮らすし。鶏は走り回っているし(もちろん食べるため) 大通りを、車と一緒に、馬やロバがしごく当たり前に走るし、ひなびてはいる。 そして、車が少なくて極ゆっくりと走る。となりのとなりのエジプトのカイロなんて、みんな競争のようにクラクションをぷーぷーいわせて走っていたことを考えると、そののどかさはいい感じである。 それに、人の顔つきものどやかで、にこやか。 日本語のアフリカガイドブックに「アフリカで一番治安のいい国」とエリトリア人自らが自慢したとあったが、それがあながち嘘ではないなと感じさせる落ち着きと安定が待ちの雰囲気や人の表情にあった。 しかし、私は落ち着かなかった。 なぜかって? 一人で歩いていると、穴が開くほど見つめられる。子供はチャイナ、チャイナとよってきて(チャイナやないちゅうねん!)、後ろに行列が出来るほど。大通りでは、お金おくれといわれたり、換金によって来る人多数。 直美ちゃんやアスカダムファミリーといると来ないで眺めている人たちがいっせいによってくるのである。 アジア人が珍しい。 旅人が少ない。 ためである。 顔に穴が開く前に「ハロー」とか「サラーム」とか挨拶すると、大人青年はは、眉で返答が帰ってくる。眉がぴくぴくと動くんだよね。 で目が和やかになる。 チャイナという子供たちに、ノウチャイナ、ジャパン、なんてマジにいおうなら、もう取り囲まれる。 一度、大通り(インデペンデンスどおり)でやったら、大変だったのでよくよくのことがないかぎり無視していたが・・・・・静かに旅人させてほしかったと・・・。 町は大きくなくて、私たちが暮らしていたアスマラ大学そばから中心まで歩いて10分弱。だから歩いて10分行けば、さすがに首都、何でもあるし揃うし。それは便が良かった。 イタリア人支配のなごりで、食べ物もイタ飯系、パスタとか、ピザがうまい。 レストランやカフェ、アイス屋(コレも美味かった)、ケーキ屋、バー、びよういん、、まちなかにこういったお楽しみ系のお店が沢山ある。 食べること、飾ることを楽しんでいることが、町のお店の様子を見ているとわかった。 地元名物インジャラにかなりまいった時などは実にありがたかった。
町の中心には、ゴシック系カテドラルの尖塔がそびえ立っていてよき目印。 そのほかに、グリーク教会、ルーテリアン協会、オーソドックスなど、キリスト教の教会多数。 イスラムも国民人口の半分を占めるのでモスクも多い。 朝、近くのモスクのお祈りの声でよく起こされた。 元々水と油のようなクリスチャンとモスレムが同居している国なのである。 エチオピアとの関係も問題だが、いずれ、この二つの宗教対立なんて事があるかも・・・・なんて思ったりした。 だって、今の大統領の次の人はモスレムとかで、クリスチャン(つまり私の滞在中の周囲の人たちだが)は、みんなそれを気にしていた。 アスカダムなんて「イスラムの法で支配するなんていわれたら・・・」みたいな心配をしていったけ。
。。。。。。本日の出来こと。。。。。。。。。。。。。 9時起床。 アスカデッドとビレンが言うには、既に来客が三人あったという。 アスカダムが買ってきてくれたパンで朝食を済まして、親戚、知人訪問に出かける。 アスカダムが1ヶ月、この町に休暇で滞在する理由の主なるモノは親戚訪問である。 それが早速開始されたというわけだ。 乗るエーで娘さんをなくした老婦人と、昔アジスアベバに住んでいたころの家族(親戚)にあう。 家に帰っても、訪ねてくる人多し。 「エリトリアに行くというと、ジャ、アレを持っていって、とかコレを頼むと買って、毎日電話がかかってくる、だけど、ルフトは荷物制限が20キロ、ママは毎日の電話に悩んでいた」 アスカデッドの言葉である。 アムスにも、大きなエリトリア、エチオピア社会があるが、オスローにもあるのでネエ。 それは良くわかる。 なんでも人にたのんじゃって割と平気な国民性みたいだから。日本人みたいな遠慮感覚はない。(違う意味であるようだけど) 祖言うことで、来る人は、オスローから、何かしらアスカダムが預かり物をしてきた人たちの家族である。 送金が主なようだが、物もある。 聞いてはいたけど、いや濃密で大変な関係である。 夜、ブルーナイルレストランで、食事。 エリトリアなのにぶりーナイルとはこれいかに・・だが(ブルーナイルはエチオピアにある)グッドレストラン。 」私はピザを食べたが、実に美味かった。 夜、降るほどの星が美しかった。
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