| 2003年12月20日(土) |
アイスランドから帰りました |
アイスランドのケフラビック国際空港発7時50分。しかし、例の如く遅れた。 飛行場で、2000年にアイスランドを訪ねたおりに知り合いになったOさんと待ち合わせてお会いする. 彼女は、今日お父さんの看護の為に、コペン経由で1ヶ月日本にお帰りになる。 日にちが一緒だったので、飛行場で少しお会いしましょうか、ということになった。 レイキャビクは、すごいクリスマスイルミネーションですが、どう思いますか、と聞かれて「びっくりした、夏には小さいけど、かわいい町だったのに、電飾で、ほとんどアムステルダムのレッドエリア(赤線地帯)みたい、と思いました。でも、1週間いるうちに、昼が無い、闇に飲みこまれないようにけなげな努力をしているんだ、とわかりました」 といったら、アムスのレッドエリアが受けてしまった. 彼女、大笑い。 そんな話を1時間ほどして、お互いにそれぞれのゲートへ。 アムス行きは、席が半分ほど埋まっているだけ。横になれたのが良かった. でもまあ、出るのが1時間遅れで、つくのは30分遅れだから、まあ取り返したほうかな. アムスは雨. レイキャビクの2日間(18,9日)は、昼も零下5度から8度だったので、アムスが暖かく感じる. それにしても、スキポールについて、バゲージホールまでの長いウオーキングをすると、アムスに帰ってきたな….と思ってしまう私って、こまるよね。 もう、来年は来ないんだからね、と自分によく言い聞かせる。 レイキャビクから帰ると、ホント、スキポールが大空港、都会だな。。と思ってしまう. 電車でセントラルステーションまで出て、トラムで帰った. ミエコは、日本、下の子供たち2人は、風邪を引いて寝ていた. モリアのほうは大分良くなっているが、メルキは重症。 しおれた菜っ葉のように元気が無い. ご飯を食べないので、じゃと、たまご粥を作って食べさせて薬を飲ませた.
私の遅い昼ご飯は、テクラブのお母さんから来たエチオピアのインジャラ。 テクラブが家でテーブルのリサイクルをしていて、用意してくれた. 美味しかった.
野菜が無いのでこれから買出しだ。 洗濯もしないと・…
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