帰宅したら、郵便物の中に一枚のハガキがあった。 「南無大師 祈ることのみ 赦される 幸月」 四国へんろの松坂氏にメールしたら「幸月さんはお世話になった人に出しているらしい」 しかし、私は何もお世話していない。 署名と気持ちばかりのお接待には協力したけど・・・ 「赦し」はあっていいと思う。 それが、宗教の本質だ、と私は思う・・人はまちがう、自分は正しいと思っている人だって、実はほかの生命を食っていきているんだから、罪はある、赦されねばならない・・・だからその気持ちを形にしただけだ・・・
帰国してから私は手間暇というか、何度も書き直したのは、幸月さんの句集から「ニューギニア回顧14句」を巡る想い、を書くことだった。 子供の頃、父の今は亡い友人から(やはり南方生還)「ニューギニアの人肉食い」の話を聞いてショックを受けたことがあった。 ホントかうそか・・と思っていたが、幸月さんの句を読むうちにそれを思い出し、ネットで検索を入れた。 上がってきた・・・人肉食いの話・・・ そんなことをことを絡めて、幸月さんは、戦友を弔いに四国にいったのではないか・・逃亡遍路ではなかったのではないか・・・ということを書いた。 「生きるも地獄 死ぬも地獄 蝉喰らう」 上記のようなことを知って読むと苦しい・・・痛切だ。 拙いが、私なりに精魂を込めて書いたと思う。
松坂さんに「幸月さんについて」の課題をもらったとき初め断ったのだ。 しかし、ニューギニアの句が気になった。 それ以外にも、あれこれ考えるところがあった。 結局、一番気になったニューギニアにしぼって書いた。
でもずっと考えていたせいか、頭から離れなくて、そこへハガキだったので、びっくりというか、ショックというか・・・でも私が書いたこと「想い」だけど、多分お弔いだったのだろうと思う。 何しろ、ニューギニア、17万人のうち生き残ったのは、1万人たらずだ。 20歳の幸月さんのその1万人の一人だったのだ・・・・自分だけ生き延びた負い目を背負っていたのではないか・・ そんなむごい悲惨な戦争の生き残りでなかったら、私は幸月さんには別の生き方があったような気がしてならない・・・ きょうは ・・・・・の多い文でした。
母が出がけに持たせてくれた「栗おこわ」と「ひじきのいためもの」どっちもうまかった。 今まで、当たり前に食べていたけど、つくづくありがたい、何時までもこういうの持たせてよ、と叶わない思いを想ったりする秋の夕暮れ。 じきに満月だ。
|