昨日、4日、スキポール空港に行ってチェックインカウンターを探そうと、モニターを見上げたらな、何と「OAキャンセル」の文字。え、ええ……どういうこっちゃ。で、アライバルのほうを見るとそっちもOAキャンセル、ヨウするに何らかの理由でアテネからの飛行機が来ないで、こちらからの戻り便もキャンセルということらしい. こう言うのって初めて…..どうすりゃいいのさ.インフォメーションに行って、私の乗る飛行機がキャンセルなのだが、と聞いたら、OAのカウンターに行けと言われていったらもう長蛇の列. 結局、夜9時40分初のKLMのフライトに振替になった. 後ろに並んでいた台湾から来たらしいご夫婦の妻の方が「全て予定が変更だ…」とぶつぶつ言う. で、「私は、クレタまで行く、ホテルも取っている」といったら「それは大変」といわれてしまった。 カウンターで「クレタのホテル予約している」といったら「それは知らない、5日早朝5時45分クレタ行きのに乗り継ぐのがベストコネクトだ。アイムソーリー」と、わかい娘さんにいわれてしまえば「わかったよ」というしかなし。 すでに、12時近いし、家に帰るのもあほらしい、何より、鍵を落とすと悪いので置いてきたから、誰もいなかったら入れない.…で空港で夜まで時間をつぶすことに. ミエコのオフィスに電話して事の次第を話して、ホテルにキャンセルの連絡をしてくれるように頼んだ. それから、空港の探検.最後は屋上に行って飛行機の発着をながめて、夕方5時頃もらったミール券で夕食した. KLM、アテネ着深夜三時前(アムスとは時差が1時間あって進む)、空港内は、やはり便の乱れのせいだろう。ごろね、ベンチ寝で満杯、ほとんど野宿村と化していた. 寝袋があったら快適だろうが、今回はあいにくとない. 仕方なく、手持ちのスカーフをしいて(アテネ空港はオリンピックに備えて出来たばかり..まだぴかぴかできれい)私もごろね. こう言うのって、大昔インドの駅(女性専用待合室)で一度やったことがあるけどな…野宿嫌いの私が、アテネで野宿の皮肉よ。 大理石の床は冷えるし、眠れない.…となりのイタリア人ファミリーの元気な話し声を聞きながら(当然寝られない)つくづくと思った.「旅は体力、お金も必要だが、こう言う緊急時に耐えられる体力があるうちに行きたいとこに行くべしと」
★ ………………………… ★
クレタ。ヘラクレオン6時50分着。 降りたとたん、強い西風にあおられてその風の強さと寒さにびっくりした. 昨日は悪天候(強風)で飛行機が飛ばなかったのが納得できた. 空港の気配で、危険の度合いを感じてバスかタクシーか決める私だが、全く大丈夫というのどかさが漂っていて「よし、バス」と決めた. このところ、取り合えず飛行場を出ると「タクシドライバー」とか「客引き」たちと闘いをするのが儀式みたいな国ばかりを訪ねていた私には少々物足りない(病気?) 道路方向に行って「シティセントラルに行きたい、バスチケットを買うのはどこ」 と掘建て小屋みたいなとこにいたおじさんに聞いたら「ここだ」と、0.9ユーロのチケットを売ってくれた. バスチケットを買って、入り口でチェックを受けるか、時間刻印器に入れるのがこの国のバスのやり方と「地球の歩き方」にかいてあったのでそのとおりに。 クレタには、飛行場が2つあるのだが、ヘラクレオンに来たのはひとえに、近くに「クノッソス」があるからだ.
町の中心についてバスの運転手から「ここだ」といわれて降りたが右も左も分からず.適当な通りに入って、ストリート名を見上げればギリシャ語。文盲だ…まあ、適当に歩いていたら、目印も見つかるだろうさ、とずんずん行く。 日本的にいえば、サイズは地方都市って感じ。 姫路なんかの法がずっと大きいよ.
ついに教会の前に出たので、地図を見るも、やはり分からず. 通りかかった若い子に「エルグレコパークはどこですか」と聞いた. ついでに、今クレタについて、予約しているホテルを探している、ギリシャ語がよめない、迷子だ.…と笑いながら話したら、びっくりした顔をして「じゃ、あなたのホテルまで私が連れていこう、どこか」とまあ、親切だ. しかし、朝の忙しい時間、「エルグレコパークがわかれば、その近くだから行ける」と。 彼女、先に立って連れていってくれた.
★横道話★ 因みにスペインの宮廷画家として知られているエルグレコ、彼はスペイン人ではない。ギリシャ人だ。エルグレコというのは、ギリシャ人という意味とか. 彼はクレタの人だった。で、公園があるわけ。 ★★
お陰さまでやれやれ無事にたどり着きました「ミラべロホテル」 カウンターに行くと、宿のおやじさん、電話で聞いているよと。テクラブ氏が一番キャンセルの電話をしてくれていたお陰ですんなり事は進んだ.
部屋で、ベットに横になったとたん爆睡. でも、11時すぎ、目をこじ開けてすっかり暑くなったヘラクレオンの町へ出かけた.朝、誰もいなかった町は、観光客と土産物屋でおおにぎわい。 とおり端にあったパン屋で「スピナッチパイ」(でかい、)を買って、同じく通りのキオスクで冷たいお水を買って、買い食い、歩き食い状態。 あちこちで同じように、歩き食いの人がいるのでちっともお行儀悪いって感じがしない. で、クレタ考古学博物館だ. 何で私が眠たい目をこじ開けて出てきたのかといえば、ココ、15時まで。 シエスタ習慣がるので、多分その後お昼ねとなるのだろう… 博物館内、クノッソスを始めとしたクレタで栄えたミノア文明の遺跡で発掘された出土品の全てが収納されている.必見!の場所なのだ. 世界史の教科書なんかでもここで見つかった「つぼ」が口絵としてのっていることがある. とにかく、おびただしい数のセラミックの大壷や、生活雑貨的な品々. 印象的だったのは、武器の類がすごく少なかったことだ. 高度の文明には必ず「戦争」の影がちらつく.
★横道..ミノア(クレタ)文明について★ 紀元前3000年頃から1400年に、クレタ島を中心に栄えた文明。特に、紀元前1800頃には、クノッソスやエフェストス、マリアなどに宮殿が建てられてミノア文明の花が開く. 建築、壁画、文学、貿易、果樹栽培に優れ、当時の文明としては、世界最高水準. しかし、火山の爆発やミケーネ人の攻撃(?)などで滅びたといわれている. またアトランチス伝説(プラトンが書いている)箱の島を中心にしたものではないかといわれている. ★ ★ ★
博物館で、きれいな壁画の色や、感動した後にクノッソスに向かった。 バスで20分ほど。 バスの車掌、着くと「クノッソス、クノッソス」と叫ぶ. そりゃそうだ、観光客、みんなはじめてで、どこがどこだか分からない、苦笑いして降りた. さてクノッソス 小高い丘のてっぺんに立てられた宮殿だったらしい。 ここには「ケンタウロス伝説」がある。 即ち、ここがミノス王がお后が牛頭人身で生んたケンタウロスを封じ込めたラビリンス(迷宮)だったというヤツ。 確かに、石と大理石、を主とした宮殿は3層4層にもなり、まさに迷路のように部屋が分かれている。また水はけがきっちりと考慮されて見事な技術である. ココに、私は考古学館で感動した壁画(フレスコ画)が貼りつけられていたのだ. 一辺160メートルほどで部屋数は1200余りもあったといわれている. やはりココでも、通常はあるはずの「塀」がない。 ヨーロッパ中世、中国の大きな町は、みんな敵の襲撃に備えて町を塀で囲み要塞と化していた.それを考えれば、何とおおらかな宮殿か、と思う. 戦いがなかったんだよね.すばらしいことだよね.
見学を負えて、町に帰れば夕方、広場でナッツ売りからピスタチオ買って食べて(名物だ)をそそくさと夕食とビール、帰ってシャワーでまたま爆睡。 長い1日でした。
|