世界お遍路 千夜一夜旅日記

2003年05月25日(日) 大峰奥駆け反省の弁

昨夜も、大峰を歩いている夢をみた。
困ったもんだ。「重症」だ。
頭はもう行くことを拒否しているのに、身体というか、潜在意識がきたがっているのだ・・・どうないせいちゅうんじゃい。
今朝、Kさんに老行者師の伝言を携帯へメールしたら、九州の久住山から電話が来た。
オオ阿蘇かいな。
「私も、ホンマやったら、どこかなって指おっている」
ホンマやったら、今日は行者還小屋泊である。

それにしても、今回、反省というか考えるところが多々あった。

1)できる、という思い上がり
 ものすごく不安だった。知らない外国の空港に降り立つよりずっと心配だった。だって、今までの私の登山歴ときたら、那須茶臼岳周辺(この辺はくわしいよ)、林間学校の下見で行った箱根の明星明神あたり、中国奥地では、4000メートル近いところまで行ったけど、歩いたのは2時間ほど(高度馴化できていなくて頭がガンガン痛かった)、尾瀬歩き・・・四国や西国の札所あるお山は別として、思いつく限りで書いたがこのくらい。高度恐怖症なので、高いお山は避けてきた。
しかし、歩くと言うことは気力・・だと思っていたので、お遍路や西国道ではそれができたし、今度もきっとできると思って奥駆け道に臨んだ。
それが、間違いだった。
道の質が違うんだもん。
これだけ歩いているのだから「できるだろう」と思うのは、一種、思い上がりだろう。
私は、大森山手前ですれ違った中高年登山グループに「自己過信」を感じたのだが、人ごとではない。私もそうであった。

2)体験して知ること
 不安だったので、地図と照らし合わせながら、アルペンガイドといわれるガイドブックを3冊読んだ。
で、不安をさらに増幅させつつも分かったつもりでいたが、全然分かっていなかった。今、「アリの戸渡り」と言われるとあの道無きやせ尾根を思い出せるし、「貝ズリ」(山伏が、岩壁に法螺貝をすりあわせるように進む場所)といわれると、見上げるような登りをイメージできる。身体で実感的に、恐怖感と共に分かる。
帰ってきて、もう一度、枕元にガイドブックを並べて読んでいる。身体の感覚がちがう。改めて、奥駆け道って大変だあ、と思う。

3)野蛮な宗教、修験道
五来重氏が修験道は、ヒューマニズムの対局にある野蛮な宗教である、ひとつまちがえば死ぬというのはそれの証明である・・・みたいなことを書いておられた。
その通り、とよく分かった。
老行者師が、ハイキングとちがうんやし早立ちせんといかん、どこでも寝られるようにせんといかんのや、といわれたけど、それもまた納得できる。
「温泉入浴」などという「人間的」なことを道中してはいかんのである。
だって、玉置より先、最低3泊はお風呂はないし、下手をしたら、お湯も沸かせないかも知れないのだ。「快」を排除するのが「行」。
身体を精神を「生命の危機的野蛮」な状態に置いて覚醒すること、生き物としての生命の質を高める、それが修験の本質・・かな。
それは、一種マゾヒズム的ではあるが、苦のなかにものすごい「楽」や「快」が潜んでいるように思う。
だから、紀伊の背骨大峰で、1000年以上、奥駆けは続いてきたのだ。明治の時なんて、修験道禁止のおふれがでたのに、である。このおふれは、やはりその「野蛮性」(から必然的に導き出される呪術性も嫌われたと思う)のせいだろう。

4)荷物つくりの反省・・今後へむけて・・(^^;)ホント??
水を入れたら、10キロ強という荷物であった。
しかし、まだまだ多い。
老行者師は、区切りで進め、といわれた。
その方が確かに食べ物が少なくてすむし、楽ではある。

*寝袋の代わりにサバイバルシート2枚なら軽い。
*嗜好品(コーヒーだの、ココアだの)は持たない。
*着替えは、身につけているほかに下着1セット、防寒のぬれたときの替えの上着とズボン。
*食料は、乾パンやラーメン主体。アルファ米はやはり重い。
*非常の準備(薬品など)は最低限とする。

やはり、水を入れて6キロくらいに抑えないといけないと感じる。
日常性、文明の快感(例えば、暖かいモノが飲みたいといった)は捨てないと荷は減らない。


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