昨夜も、大峰を歩いている夢をみた。 困ったもんだ。「重症」だ。 頭はもう行くことを拒否しているのに、身体というか、潜在意識がきたがっているのだ・・・どうないせいちゅうんじゃい。 今朝、Kさんに老行者師の伝言を携帯へメールしたら、九州の久住山から電話が来た。 オオ阿蘇かいな。 「私も、ホンマやったら、どこかなって指おっている」 ホンマやったら、今日は行者還小屋泊である。
それにしても、今回、反省というか考えるところが多々あった。
1)できる、という思い上がり ものすごく不安だった。知らない外国の空港に降り立つよりずっと心配だった。だって、今までの私の登山歴ときたら、那須茶臼岳周辺(この辺はくわしいよ)、林間学校の下見で行った箱根の明星明神あたり、中国奥地では、4000メートル近いところまで行ったけど、歩いたのは2時間ほど(高度馴化できていなくて頭がガンガン痛かった)、尾瀬歩き・・・四国や西国の札所あるお山は別として、思いつく限りで書いたがこのくらい。高度恐怖症なので、高いお山は避けてきた。 しかし、歩くと言うことは気力・・だと思っていたので、お遍路や西国道ではそれができたし、今度もきっとできると思って奥駆け道に臨んだ。 それが、間違いだった。 道の質が違うんだもん。 これだけ歩いているのだから「できるだろう」と思うのは、一種、思い上がりだろう。 私は、大森山手前ですれ違った中高年登山グループに「自己過信」を感じたのだが、人ごとではない。私もそうであった。
2)体験して知ること 不安だったので、地図と照らし合わせながら、アルペンガイドといわれるガイドブックを3冊読んだ。 で、不安をさらに増幅させつつも分かったつもりでいたが、全然分かっていなかった。今、「アリの戸渡り」と言われるとあの道無きやせ尾根を思い出せるし、「貝ズリ」(山伏が、岩壁に法螺貝をすりあわせるように進む場所)といわれると、見上げるような登りをイメージできる。身体で実感的に、恐怖感と共に分かる。 帰ってきて、もう一度、枕元にガイドブックを並べて読んでいる。身体の感覚がちがう。改めて、奥駆け道って大変だあ、と思う。
3)野蛮な宗教、修験道 五来重氏が修験道は、ヒューマニズムの対局にある野蛮な宗教である、ひとつまちがえば死ぬというのはそれの証明である・・・みたいなことを書いておられた。 その通り、とよく分かった。 老行者師が、ハイキングとちがうんやし早立ちせんといかん、どこでも寝られるようにせんといかんのや、といわれたけど、それもまた納得できる。 「温泉入浴」などという「人間的」なことを道中してはいかんのである。 だって、玉置より先、最低3泊はお風呂はないし、下手をしたら、お湯も沸かせないかも知れないのだ。「快」を排除するのが「行」。 身体を精神を「生命の危機的野蛮」な状態に置いて覚醒すること、生き物としての生命の質を高める、それが修験の本質・・かな。 それは、一種マゾヒズム的ではあるが、苦のなかにものすごい「楽」や「快」が潜んでいるように思う。 だから、紀伊の背骨大峰で、1000年以上、奥駆けは続いてきたのだ。明治の時なんて、修験道禁止のおふれがでたのに、である。このおふれは、やはりその「野蛮性」(から必然的に導き出される呪術性も嫌われたと思う)のせいだろう。
4)荷物つくりの反省・・今後へむけて・・(^^;)ホント?? 水を入れたら、10キロ強という荷物であった。 しかし、まだまだ多い。 老行者師は、区切りで進め、といわれた。 その方が確かに食べ物が少なくてすむし、楽ではある。
*寝袋の代わりにサバイバルシート2枚なら軽い。 *嗜好品(コーヒーだの、ココアだの)は持たない。 *着替えは、身につけているほかに下着1セット、防寒のぬれたときの替えの上着とズボン。 *食料は、乾パンやラーメン主体。アルファ米はやはり重い。 *非常の準備(薬品など)は最低限とする。
やはり、水を入れて6キロくらいに抑えないといけないと感じる。 日常性、文明の快感(例えば、暖かいモノが飲みたいといった)は捨てないと荷は減らない。
|