2002年02月05日(火) |
第42夜 ★リアルタイムお遍路日記 一番さん門前にて ★ |
お遍路日記 2月5日<火曜 雨> 羽田12時45分JAS2時着。徳島は雨だった。おやまあである。まあ、今日雨ということは、明日は晴れる、ということにしよう。 高徳線15時24分発の板野行き。なんと、お遍路装束系の人が5人もいた。同行のKさんと「すごいね」とびっくりした。私たちの席の前には、お髭のじい様。風格お遍路さんがいた。途中から、女性が一人で乗ってきた。なんと寝袋を背負っている。またまた二人で顔を合わせてすごいね。 降りる間際、お髭お遍路様に会釈をしたら、笑顔で返してくださった。これがいいんだよね、ご同行だもん。 板東の町は初めてこの駅に降り立った95年と同じ空気を漂わせている。無性に懐かしい。kさんも「うちのお父さんはあの床屋さんにいったんだよ」 kさんのご主人は97年、2回目のお遍路をご夫婦で満願されてから2週間もたたないうちに事故でなくなった。
4時半近く、1番さんを打つ。2月というのに一番さんは団体お遍路さんでにぎわっていた、これにもびっくり。 お参りを済まして不足だった笠、さんや袋、納め札などを購入。 kさんはご主人分の笠をお大師堂のお納めなさった。一番さんの大師堂はそんな人のためにかけるところがついているのだ。 「歩く人、多いですよ、10人今日は出ていきましたよ」 とは一番さんの納経所のお話。 本道で尼さんから、お参りの心得という冊子をいただいた。 「雨はいいですよ、しっとりと落ち着いてお参りできますよ、お手洗いなどでわげさをはずすということなど知っていますね」
宿は阿波さん。私もkさんも泊めていただいている。 おばちゃんとおじちゃんでやっていたのに、若いひとが出てきた。どうやら阿波さんの跡取りらしい。 食事の時に、男性4人と一緒。 「わかい人が四国におかえしをしたいから、缶ひろいはどうか、と言い出したので、暇なわしらが地元の役所に話をしにきたんだ、だから今回はお寺はまわらない。。。」なかなかいい話、と聞いていたのだが。その後がいけなかった。 お寺の悪口が始まった。 でも、これから回ろうとする人2人<私とkさん以外の男性二人、おひとりは若かった>に聞かせることじゃないんじゃないの?いいお寺だってたくさんあるのに。もう聞きたくなかったので席を2人して席を立った。
お風呂の時間を7時にしてもらいにいっておばちゃんと話した。 「おばちゃん、元気ですね、私たち前も泊めてもらったんですよ」 「去年の9月に油でやけどして、入院して手術したんよ。宿、やすんどったんよ、今は孫がしてくれているから助かっている、太ったし、入院して」 わきだったらいいが、前だったら死んでいたかもしれんとおばちゃん。今も痛いという。 早く元気になってほしい。 「おばちゃん、歩くとやせるよ、明日、私らと歩く?」 「そうやな、あるくとやせるやろなあ、でもあかんなあ」
雨はどうやら上がったようだ。 明日の宿はたみやさんを予約。次の宿に柳水庵に電話を入れた。 その日ではなんか危ない感じだったので、、、。まさか、お遍路offの時期にこんなとになろうとは、である。 でも、また歩かせていただけるることに感謝。
出費 羽田までバス 1100円 徳島駅までバス 430円 昼食820円 電車 260円 笠 納め札 袋 4410円
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