おひさまの日記
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2011年09月17日(土) 「ママ」からの贈り物

少し前、ふと、思ったのです。

自分の周りにあるすべてのものは、
全部地球からの贈り物。

当たり前に吸い込んでいる酸素、
口にしている食べ物、
着ている服や、はいている靴、持ち物、
住んでいる家、あらゆる乗り物、
すべて、すべて。
私達の肉体でさえも。

すべてが地球の何かを借りて、
作られたもの。



けれど、いつの間にか、それが、

「私のもの」

になっている。

私のもの、私達のもの、
我が社のもの、
誰かの、どこかの、所有物になっている。



それがいけないんじゃない。

それはそれでよくて、
すべてが地球からの贈り物で、
その贈り物のおかげで、
私達は豊かであるのだと、
心に留めておくことが、
素敵なんだろうなぁって思う。



地球は私達のお母さん。
私は地球をママと呼んでいる。

あるシャーマンが、
地球を「Mother Earth」と呼んでいた。
母なる地球。
グッと来た。

時々、ママに話しかける。
特に、自然を感じながら、
ママに話しかけるのが好きだ。

自然は、地球がくれた贈り物の原型。
地球が創造したそれそのもの。
何をするでもなく、
何を考えるでもなく、
ただそれを感じるのが、
この上なく幸せなのだ。

どんなに悲しい時も、
どんなに苦しい時も、
そんなママの贈り物を感じていると、

現実の中で歪んでしまったり、
押し込めてしまった感情が、
まっさらで素直なそれになり、
ほろほろと涙になって流れ落ちる。

そして、現実に戻る力を、
取り戻すことができる。
取り戻そうと踏ん張る自分が生まれる。

ママの前でだけは、
本当に素直でいられる。



たくさんのものを、
私達に無償の愛で与え続けてきた地球。

けれど、私達は、
それが地球から与えられたものであるということを、
考えさえもしないこともあるだろう。
それがあって当たり前、
これは私のもの、私達のもの、我が社のもの…

もし、それを自分に置き換えたら、
どんなにか悔しく、悲しいことだろう。
贈ったことにも気付かれず、
感謝もされず、
あって当然、もっと、もっと…と。

ふとした瞬間、
ああ、すべてが地球からの贈り物なのだ、
そう気付いた。
そんな大切なことを、
考えもしないで暮らしていたって。

もちろん、
天災や、そこで受ける被害、
悲しいこともいっぱいあるけど…

昔の人は、
現代の私達よりも、
もっと、もっと、
地球に近かったのではないかと思う。
地球と共に生きていたのではないかと思う。



人間以外のもの、
動物はもちろん、
植物、鉱物、すべてに意思がある。

人と人とがコミュニケーションをするように、
たとえば、
笑顔でおはようって言われるとうれしいように、
すべてのものが心地よいコミュニケーションに、
喜びを感じるんじゃないかと思う。

言葉通じないじゃん、とか、
目や耳がないじゃん、とか、
そういう問題ではなく、
もっと大きな部分でつながるすべての存在は、
テレパシーのようなもので
コミュニケーションしているのだろう。

何かに日本語で「ありがとう」と伝える時、
その日本語が伝わるのではなく、
それを伝えたいという想いが伝わる、
そんな感じなんだと思う。

常にありのままで、まっさらで、素直な自然は、
人間みたいに、体裁を気にしたりしない。
意図があって何かを歪めたりしない。
それそのものの姿のままで存在し、
コミュニケーションしてくる。

だから、向かい合う自分も、
ありのままで、まっさらで、素直になる。
自然を感じる時、それを体感する。

そして、ちょっとひねくれてしまった私は、
いつも自然に会いに行く。

と、言っても、
ベランダから空を見たり、
風を感じたり、
近所を歩いて緑を眺めたり、
そんなちょっとしたことだけど。

自然は私にとって大切なヒーラー。



「ママ」からの贈り物を受け取りながら、
日々生きている自分、
そのスタンスで生きることの心地よさを、
強く感じる日々です。





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