おひさまの日記
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2011年05月06日(金) |
出来事が「問題」という仮面を外す時 |
先日、母が家の中でお金をなくした。
今日、その入れ物だけが見つかった。 中は空でお金は入っていなかった。
母は言った。
「中には1万円が入ってたのに。 恵美(エイミー)がお金を盗ったと思った」
頭が真っ白になった。
お母さん、私を疑ってるの?
その時、悲しくて、悔しいのに、 母の味方をしようとする自分がいた。
お母さんは言葉がうまくないから、 そういう言い方しちゃっただけだ…
深い意味はなくて、 軽くただそう言っただけだ…
けれど、涙がぽろぽろ落ちるのを、 止めることができなかった。
そして、気付いた。
ああ、私、いい子ちゃんでいようとしてた。
普段、口は悪いし、 母とケンカもするけれど、 いつも自分が悪いと思っていたし、 いつも自分を責めていた。 自分のせいでこうなる、 自分のせいでお母さんが悲しむ、と。 私が悪いんだ、と。
今日、母に、 お金を盗った疑いをかけられた時、
「イヤだと思っていいんだ。 私やってないんだもの。 私悪くないんだもの」
そう思った。 そして、気付いた。
「自分を責める気持ちが 前提にあったから 感情を全然消化してなかったんだな」
未消化だからこそ、 心の叫びである訴えが消えなかった。 怒りとなって爆発していた。
私が発する言葉や態度のうしろには、 こんな言葉が常にあったと思う。
「お母さん、 どうせ私が悪いんでしょう? どうせ私ダメな子なんでしょう? ねぇ、ねぇ、どうせ私のせいなんでしょう?」
と。
昨年の秋、 父が亡くなった時、 周りの人に言われた言葉で、 私がいちばん傷ついたのは、
「お母さんにやさしくしてあげて」
だった。
「あなたがしっかりしなくちゃダメでしょう? うんと気を使ってあげてね。 どれだけつらいかわかってあげなくちゃ」
一体何人の人に言われたことだろう。
私だってつらいんだよ、 そう言いたかった。
けれど、それは、 私が自分自身に 言っていた言葉に他ならない。
「お母さんにやさしくしてあげなくちゃ、 私がしっかりしなくちゃダメでしょう? うんと気を使ってあげなくちゃ、 どれだけつらいかわかってあげなくちゃ」
人は鏡。 私の中にある気付かないものを、 淡々と見せるだけ。
無意識のうちに、 自分にムチを打つように、 自分に言い続けた言葉を、 たくさんの人が聞かせてくれた。
私がそんな思いを持っていなければ、 周りの人は見せはしないのだ。 それがこの世界の法則というものだ。
そっか…
私の中には、 いまだ、
「私はダメ、 私が悪い、 私がもっとしっかりしなきゃ、 私がもっとよくならなきゃ」
そんな思いがいっぱいあったんだな…
もういい加減なくなっただろ、 そう思ってたのに(苦笑)
気付かなかったよ(爆)
「私だってつらいんだよ」
ないことにしていたけれど、 それが私の いちばん言いたい言葉だったのだと思う。
たくさんの人に同じことを言われて、 反発するように出てきたその言葉、 それが、私の中にずっと隠れていた言葉なのだろう。
そして今日の出来事。
ああ、やっとみっけたよ。
だから、人は、人の中で生きる。 人を通して自分を知るために。 映し合う。 見せ合う。 例外はない。 関わる全ての人が鏡となり映し合う。
お母さんはその役割をしてくれた。
私はやってない。 私は悪くない。 そんなこと言われるのはイヤだ。 不愉快だ。 まっすぐにそう思えた時、 私の中でなにかがはじけた。
自分をひたすら責め続けていた 小さな私を心の中で抱き上げた。
苦しかったね。 もう大丈夫。 私がついてるから。
お母さんを守らなきゃ、 お母さんをかばわなきゃ、 お母さんはかわいそうなんだから…
父に言葉の暴力を浴び続けた母を見て、 きっとそう思い続けてきたんだろう。 自分が苦しいのを放り投げて、 うんといい子になろうとしていたのだろう。
だから、途中で歪んじゃったんだけど(爆)
また、拾った。 人生の贈り物。 また、出会った。 自分の本当の声。
明日からも、また、いつもの毎日が続く。 けれど、私はまたひとつ、 自分のかけらを取り戻した。
現実の出来事は、 ただのメッセンジャーに過ぎない。 メッセージを受け取れば、 それは「問題」という仮面を外す。
母と私が親子だからじゃない。 家族だからじゃない。 誰かと誰か、人が関わり合う時、 必ずお互いが鏡となる。
私の痛みは、母の痛み、 関わる全ての人の痛み、 ホ・オポノポノでクリーニングした。
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