おひさまの日記
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2010年10月01日(金) |
ばいばい、お父さん<お笑い編> |
人が死ぬという出来事の中で、 タブーとされることは「笑い」なのではないだろうか。 一般的にはね。
私の大好きなOSHOトランスフォーメーションタロットで、こんな話がある。
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60. 笑い
笑いはとても変容をもたらす力ですから、ほかにはなにも要りません。 もし自分の悲しみを祝祭に変えたら、 あなたは自分の死を復活に変容することもできるでしょう。
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私は中国の三人の神秘家たちのことを聞いたことがある。 誰も彼らの名前を知らない。 彼らは『三人の笑う聖者たち』としてのみ知られている。 彼らはほかにはなにもしたことがなかったからだ。 彼らはただ笑った。 彼らは町から町へとよく移動して、 市場に立って腹の底からすばらしく笑ったものだ。
この三人の人びとはほんとうにすばらしかった。 笑うと、彼らの腹は波打った。 それは伝染病になった。 市場全体が笑ったものだ……。 少しの間、新しい世界が開いた。
彼らは、人びとが笑うのをただ助けながら、中国中を移動した。 悲しい人びと、怒っている人びと、欲の深い人びと、嫉妬深い人びと、 彼らはみな、彼らといっしょに笑い出した。 そして多くの人びとがその鍵を感じ取った。 人は変容することができるのだと。
そのうちある村で、三人のなかのひとりが死ぬという事態が起こった。 村人は言った。 「さあ、面倒なことになるぞ。彼らの友だちが死んだんだ 彼らは泣かなければならない」 だが、ふたりは踊り、笑い、死を祝っていた。
村の人びとは言った。 「もう、これはあんまりだ。 これは礼儀にかなっていない。 人が死んだときに笑って踊るのは、神聖を汚すことだ」
彼らは言った。
「お前たちはなにが起こったのか知らないのだ! 私たち三人はみな、いつも考えていた。 こいつが勝った。 私たちは負けたのだ。 一生涯、私 たちは彼といっしょに笑ってきた。 どうして私たちが、ほかのことをして彼の最後の門出を見送ることができるだろう? 私たちは笑わなければならない。 私たちは楽しまなければならない。 私たちは祝わなければならない」
これこそ、自分の全生涯を笑った人間への唯一可能な別れだ。 そして、もし私たちが笑わなかったら、 彼は私たちのことを笑って、こう考えるだろう。
『ばか だな!で、お前たちはまたしてもわなに堕ちたのか?』 私たちは彼が死んでいるとは見ない。 どうして笑いが死にえよう?どうして生が死にえよう?」
そして、身体が焼かれることになって、村の人びとは言った。
「儀式の規定どおり、彼を沐浴させよう」
だが、このふたりの友人は言った。
「いや、私たちの友人はこう言った。 『どんな儀式も行わないでほしい。 それに、私の服は変えないでもらいたい。 私を風呂に入れないでほしい。 そのままの私を、燃えている 牧の上にただ乗せてほしい』 だから、私たちは彼の指図に従わなければならない」
そして、突然、偉大な出来事が起こった。 身体が火の上に置かれたとき、 その老人は最後のトリックを仕掛けておいたのだ。 彼は自分の服の下にたくさんの花火を隠していた。 そして突然、"ディワリ"になった! すると、村全体が笑い始めた。 それは死ではなかった。 それは新しい生、復活だった。 あらゆる死が新しい扉を開く。
もしあなたが自分の悲しみを祝祭に変えたら、 そのときには、あなたは自分の死を復活に変えることもできる。 だから、まだ時間があるうちに、そのアートを学ぶがいい。
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とね、こんな話。 昔からこの話が大好きで。 ただ、近い人の死に直面したことがなかった私には、 実感としてつかめるものではなかった。
けれど、父が亡くなるという体験の中、 おかしくて笑いをこらえられないような出来事があれこれあった。 こんな時になにもこんなにおかしいことが起こらなくても… というようなあったんだよね。 その時、この話が自分の中にスッとまっすぐに入ってきた。
笑っちゃう出来事は、 肉親の死という出来事とのギャップで余計におかしく感じられる。 告別式の途中には肩が震えてしまうほどのことも。
人が亡くなった時、そこに笑いというものが存在すること、 作り笑いや、悲しみをシャットダウンして元気な風を装うとかそういうんじゃなく、 純粋な笑いが存在すること、そんなことについて考えたりしていた。
そして、実際、笑ってしまった自分達に何が起こったのか。
つづく。
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