おひさまの日記
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2010年05月11日(火) お父さんへ、かわいい、かわいい、恵美より

ゆうべ夢を見た。

施設にいる父を訪れている夢だった。
夢の中で父はちゃんと口がきけて、
ベッドの脇にしゃがみこむ私の髪を撫でて、

「かわいい、かわいい、恵美」

と言った。
父はその後亡くなった。

そこで目が覚めた。
時計を見ると2時55分だった。

まさか…と思った。
その後しばらく起きていたけれど、
施設からの連絡もないし、ただの夢であることを祈りながら、
また眠りについた。

朝起きて、
施設から聞きたくない知らせの電話があるのではないかと、
気が気ではなかった。

けれど、電話はなかった。
ただの夢だったんだなぁ、そう思ってほっとした。
虫の知らせの変な夢なんじゃないかと、ずっと心配していたのだ。

私は、今日、ひとりで施設を訪れた。
いつもは家族そろって行くのだけれど、
今日はひとりで行きたかった。
母にも行くことを告げず、ひとり車を走らせた。

部屋に入ると、父がベッドに横になっていた。
生きてるじゃん(笑)

今日、私にはすることがあった。
今日しなければ一生後悔するであろうこと。

あの夢が虫の知らせではなかったとしても、
そのうちやってくる悲しい日を、
私に知らせているのかもしれないと思った。
だから、その日が来た時に後悔しないように、
ひとり父を訪ねた。

私が私の意思で、私ひとりで、私の気持ちを、
まっすぐに父に伝える、それが今日することだった。
悲しい日が来た時に決して後悔しないように。
もし今日が生きて会える最後の日になったとしても、泣きながら笑えるように。

部屋に入るのと同時に、おやつのプリンが運ばれてきた。
私はプリンを父に食べさせた。
父は巣の中のひな鳥のように、大きく口を開ける。
スプーンでプリンを入れてやると、もぐもぐと食べる。
おいしいようで、飲み込むとせがむようにまた口を大きく開ける。
何度もスプーンが行ったり来たりして、プリンが空になった。

「あいあとな(ありがとな)…」

そう父が言った。

私はベッドに脇に座り色々な話をした。
アンナが修学旅行に行って鎌倉大仏を見てくること、
外は雨で肌寒いこと、
母がちょっと風気味なこと、色々、色々。

父はぽかんと開いたままの口で、

「あー」

と、時折相づちを打つ。

父は何やらもごもご話している。
けれど、ろれつが回っておらず、何を言っているのか聞き取れない。

「言いたいことがある?」

そう聞くと、

「あー」

と、うなずく。
その後も何か言っているのだけど、やっぱり聞き取れない。
私は父の言いたいことがわからなくて、黙ってしまった。
父は顔をしかめて、もごもごと何か言った。
ちょっと口調が荒くなった。
それでも言っていることがわからなかった。

「お父さん、わからなくてごめんね」

父を苛立たせてしまったように感じた。
けれど、そんな現実さえ今ここにある事実で、仕方なかった。
わかってやれない悔しさと申し訳なさ、父の不快そうな表情を見た悲しみが、
ぐるぐるにからまって私の中で暴れていた。

父は目を閉じて眠ってしまった。
すげーソッコー寝てやがる(笑)
最近はいつも現実と眠りの狭間にいるような感じだ。

少ししてまた目を開けた父と目が合った。

「お父さん、話してもいい?」

「あー」

父の「あー」はイエスの返事のようだ。
ノーの時は何も答えない。

私は少し緊張しながら言った。

「私ね、自分が親になってからよくわかったんだよ。
 どれだけお父さんが大変な思いして育ててくれたか。
 お父さんはつらくても頑張って私を守ってくれてたよね。
 本当にありがとうね。
 お父さんに守られた、本当に守られてた。
 お父さんの子に生まれてよかったよ。
 それにね、私、人にほめられることって、
 昔お父さんが厳しくして教えてくれたことや、
 色々怒られて覚えたことなんだよ。
 お父さんのおかげで今があるんだよ」

父は言った。

「おぉか(そうか)…」

「お父さん、大好き。
 今日はね、ひとりで来てそれを自分で言いたかったんだよ。
 ねぇ、お父さん、恵美がお父さんを大好きなこと知ってる?」

父は、

「あー」

と言って小さくうなずいた。

「よかった」

私はうんとにっこりして見せた。
父の手を握って何度も「ありがとう」と言った。
そして、もう一度「お父さん、大好き」と言って、
横になっている父をハグした。

私の中で今日すべきことが終わった。

以前も家族で訪れた時、ありがとう、大好き、を伝えた。

でも、今日、ひとりで来て、ひとり父と向かい合い、
あらためてそれを伝えたかった。
そうしなければならなかった。
私の今胸の中にある気持ちを、誰の力も借りず、
自分の意志で、自分の力で、しっかり伝えて、
初めてその作業が終わると思った。

その時、父が肉体を離れる時に向けての心の準備が、
私の中で始まることを、私は知っていた。

「アンナのお迎えがあるからもう帰るね。
 また来るよ」

そう言って立ち上がると、父がはっきりと言った。

「来てな」

驚いた。
もごもごして何を言っているのかわからない父なのに、
今はっきりと聞き取れた。
思わず聞き返した。

「ねぇ、本当に来てもいい?
 恵美が来てもいいの?」

父は、

「あー」

と言った。

「また来るね」

私がそう言うと、父はすでに眠ってしまっていた。
父の手をもう一度握ると、私は部屋を出た。

階下に降りるエレベーターに乗った途端、涙があふれて来た。
鏡になっているエレベーターの奥の壁に、
くしゃくしゃになった自分の顔が映っていた。

父がこの世を去るにあたり決して後悔しないように、
私になりにすることをすべてしたと思った。

夢の中で父が言った。

「かわいい、かわいい、恵美」

そのシーンが何度も頭の中を巡った。

ねぇ、お父さん、あの夢は、
今はほとんど口がきけないし動けないお父さんが、
私に言いたいことだったんでしょう?
そうだよね?
なでなでしてもらえてうれしかったよ。
子供がかわいくない親なんていないって、私、知ってるよ。
たとえ子供がいくつになっても。
ありがとう、お父さん。

勇気出して行ってよかった。
私は今日という日に、
お父さんの死をなるべく考えないようにする自分から、
それと正面から向かい合って覚悟を決めた自分になったんだ。

きっとお父さんは夢に出て来てくれて、
私にそのチャンスをくれたんだね。
お父さんの愛とやさしさを受け取ったんだね。

その日が少しでも先であるように、
そして、その日までお父さんの心と体の痛みがなくなって、
少しでも心地よく過ごせるように、私は祈るよ。
それが今の私にできること。

あなたの娘は、今日、また少し強くなりました。
お父さんへ、かわいい、かわいい、恵美より。


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