おひさまの日記
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ある記事を読んでハッとした。 それは、水谷充さんのブログの記事だ。
写真も撮られる他、色々なことをなさっている水谷さん。 上の水谷さんのお名前にリンクを張ってあるので、 飛んで見てもらえれば、どのような人かわかる。
読んで何かがスコーンと抜けた。 そうだよねぇ…と、うなるばかりだった。 それは、彼のブログ「写真・映像制作人 水谷充の私的視線」のこの記事。 短くて読みやすいので、まずぜひ読んでいただけたらと思う。
スゴイ人というのはどこまでもスゴイのだ。 これを読んで、私は水谷さんがえらくカッコイイと思った。
この記事に書いてあること(真ん中あたり)は、 私が日々感じていることと全くと言っていいほど同じだった。 けれど、私は自分がそうであると、この記事を読むまで気づかなかった。
気づかなかったと言うか、 それじゃあいけないと思っていたのかもしれない。 でも、読んで思った。 あ、同じ、って。
子供が描いた絵を母親に見せにくる時って、
「ねぇ、ママ、見て、上手に描けたでしょ? ほめて、ほめて!」
そんな気持ちなんだと思う。
そして、それは、私もそうだ。 子供の頃もそうだったし、今もそうなのだ。
「こんな写真撮っちゃった。 ねぇ、見て、見て、よく撮れてる? ほめて、ほめて!」
そんな気持ち。 それが素直なまっすぐな気持ち。
でも、それじゃいけないと思っていたのは、 なんかこう、もっともらしい、いかにもな、 写真とはあーだこーだで、表現がなんちゃらで、って、 アーティストっぽい思いで写真を撮ることが正しくて、 それが立派なんだと思っていたからじゃないかと感じる。 今になってね。
自分が、水谷さんが書いていらしたような気持ちでいたことに気づいたことで、 初めて、そういう気持ちでいる自分を脇に置いてええかっこしーしてたんじゃないかって、 わかったんだよな、うんうん、わかったんだよ。
これは大きな気づきだった。
水谷さんはブログで、 ああして書いていらっしゃるけれど、 ああやって書けるのは、 人間として成熟しているからなんだと、つくづく思う。
そして「あまり崇高な意思は見えてこない」とおっしゃっているけれど、 それを素直にさらさらと感じて表現できるということは、 ある意味崇高なのだと、私は思う。 色々な体験を重ねて重ねて、 悲喜こもごもを感じて、たくさんの葛藤を越えて、 今ここにあるからこその言葉なんだと思う。 読んで果てしない奥深さを感じた。 すごいよ、カッコイイよ。
私もああしたことを、 さらりと言ったり書いたりできるようになりたいと思ったね。
背負っていた重たい荷物をおろしたような、そんな気持ち。 私、また、自分じゃない自分になろうとしてた。
そう言えば、abuもよく言う。
「俺は撮りたいから撮るんだよ」
と。 ポートフォリオレビューの準備をしていた時に、 私があわあわして、
「プレゼンどうする? なんて説明するの?」
そう尋ねると、
「俺はただ撮りたいから撮りました、って言うよ。 難しいことは別にないし、 ただえみやを撮りたいから撮って、 それを見せたいだけだから」
と答えた。
プレゼンのための事前リサーチで、 ある写真家さんの写真哲学的思想に基づいた難しい記事を読み過ぎていた私は、 もっともらしいことを言わなきゃいけないのかと焦っていた。 それはそれでとても素晴らしいものだった。 けれど、私の場合はそんな哲学的思想のもとやってるわけじゃないし… と困惑していたので、いい意味で拍子抜けしたのを覚えている。
「あ、そか。 だよねー」
って。 さすがダンナ。 カッコイイ、カッコよ過ぎるぜ(笑)
ああ、いつもだわ。 私はいつもぐるっと回るわ。 ぐるっと回って一巡するわ。
一巡して戻ってくるんだからよしとする(笑)
abuが何十回も何百回もシャッターを切る間、 私は1回もシャッターを切れないことがあった。 そりゃそうだね。 だって、頭でか子さんで、心で感じるのをやめちゃってたんだもん。 撮りたいっていう素直な衝動を押さえ込んで、 もっともらしい、でも本意じゃない何かを用意しようとしてたんだもん。 そりゃ撮れねーわな。
大切なものは子供の心の中にある。 きらきらと。 大人になってもそんな子供の心を持っていられたら、 長く生きた分、成熟した子供になれるね。 大人がいっぱい持ってる余計なものをみんな削ぎ落としたら、 残るのはきっと子供の心。 何よりも大切なもの。
その大切なものは、人間としての成長と共に熟していくのだろう。 有り様はそののままに、より深みを増していくのだろう。 なんて素敵なんだろう。 私もそんなものを持った大人になりたい。 私の言葉で言えば、おとなこども。
成熟したからこそのシンプル。 成熟したからこそのありのまま。
すべての出来事がリンクする。 目にするもの、耳にするもの、体験するもの、すべてが。 そして、私は気づく。 大切なことに。
そして、abuは私の後ろでブログを書いている。 私達は背中合わせにパソコンを置いて作業しているのだ、 ま、どうでもいいことだが(笑)
そして、前に進もう。 よっしゃ。
なんかすっごく気分が晴れ晴れなのは、 きっとぐるっと回って自分に戻れたからなんだと思うよ。
水谷さんとは直接的関わりは何もないけれど、 それでも、ひょんなことであのブログを知って、 こうしてウェブを通して大切なことを感じさせていただけて、 心から感謝なのだった。 草薙素子ふうに言うと「ネットは広大だわ」な気分。 記事の最後に書いてあることも、本当に、本当に、素晴らしい。 モニターに向かって合掌だよ(笑)
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