おひさまの日記
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なんのいわれもなく理不尽に怒鳴られるのって本当にイヤだ、 そう心から思った今日だった。
ゆうゆう窓口の仕事では、そういうのが時々あって、 怒鳴られるまではいかないにしても、 ひどいことを言われたりされたりすると感じることはよくある。
こちらのミスや失礼でそうされるならまだいい。 お詫びしようと思える。 過剰に怒鳴られたにしても、仕方ないと思える部分がある。
でも、今日みたいに、突然なんの前触れもなく、 そこに立ってただけで怒鳴られるなんて、もう耐えられない。
今日思った。 イヤだ、って。 本当にイヤだ、って。
それまでは、仕事だし割り切って耐えることも大切、って思ってたけど、 今日はガマンの限界を感じた。
先月から肌荒れで顔がすごいことになってる。 こんなに肌荒れしたのって何十年ぶり?ってほど。 これってストレスじゃん、と勝手に思ってる。
繁忙日の週末の今日、身も心もぼろぼろになって疲れ果てて、 帰ってabuに話しながらわんわん泣いた。
身の振り方、考えよう、マジで。
辞めてしまったら生活できないという現実。 これから繁忙期に突入する郵便局、 よくしてくれている同じゆう窓の人達への申し訳なさ。 次の仕事を探すことの大変さ。 新しい仕事が見つかったとして、続けられるような職場かという不安。
それが、私の頭で考えていること。
そして、これまで何度も体験してきた、 考えも想像も及ばないところからやってくるよきことへの期待、 それも、ある。
それは、心が感じるままに進んでいくことで、 要は、魂センサーの示す方向にただ進んでいくことで、 思考で選択したり、予測したり、想像したりする範囲を超えて、 必ず自分の真ん中で欲したものが与えられるという希望だ。 寄り道が必要なら、寄り道さえ与えられる。
abuと一緒になった時もそうだったじゃないか、自分に言い聞かせる。
今、私は、恐れと不安に絡めとられた思考ではない部分から未来を選択したい。
そのために、今私にできることは、ひとまずは現状を維持しながらも、 その中で、自分の思考と選択を変えていくこと。 できない理由やムリな理由を探すのではなく、 生活のためなんだからガマンしなきゃダメなんてあきらめるのではなく、 ああなりたい、こうなりたい、こんなことがしたい、 そうした想いを描きながら、それに準じる思考を持つようにして、 それを宇宙に放り投げること。 そして、その方向に行くための選択を続けていくこと。
今ここにいるのは、そうした生き方をしてきた私。 その生き方が、わがままじゃなく、夢見がちじゃなく、 これからの世界そのものだという確信がある。 人は幸せになっていいのだ。 こわいけれど、不安だけれど、もうそれ以外の生き方はできない。 これからもそうした生き方をしていきたいと心から願う私。
シャワーを浴びながら、どこへともなく質問を投げた。
「郵便局を辞めて、生活を立てながら、 自分の楽しめる仕事をするなら、 どんな仕事がいいだろう?」
答えはきっとやってくるだろう。 大きな力、信じよう。
私がいつゆう窓を去るかは、まだわからない。 すぐかもしれないし、まだずっと先かもしれない。 でも、去るという決断はした。 ベストなタイミングでそうなることだろう。 ひょっとしたら気が変わることもあるかもしれないし。
「決断した瞬間に現実は動く」
大好きな言葉。
決断したら気持ちが楽になった。 その楽な感じは、自分が何かにとらわれなくなった感じの自由。 私は郵便局にとらわれていたのではない。 郵便局にい続けるんだという自分の選択とその結果の現実にとらわれていたのだ。 そして、今また新しい選択とその結果の現実の中に入っていく。
来月には引っ越しもある。 色々な現実が動く。
生きてりゃなんとかなる。
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