おひさまの日記
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2009年08月18日(火) やりたくないことの中にある「やりたいこと」と「やりたくないこと」

今、パートで郵便局のゆうゆう窓口にいるけれど、
この仕事が死ぬほど好きってわけじゃない。
これが天職だわ!なんて生き生きとして通ってるるわけでもない。

でも、今まで色々なところにパートに出た時のように、
耐え難くなって辞めなければ自分がおかしくなってしまうような、そんな感じでもない。

言ってみれば、なんか身を置くことはできる、そんな感じだろうか。

最初の1ヶ月はものすごくつらかった。
慣れない環境、慣れない人、わからない仕事、
休み明けの朝は決まって泣きたい気持ちだった。

そんな私も郵便局で働いて6ヶ月が過ぎた。
案外続いた(笑)
周りの人達のおかげだよなぁ。

今の私は、よく本にあるような、夢や目標に向かって、とか、
高いモチベーションでアクションを起こして、とか、
そんな素敵なことからは果てしなく遠いような気がする (; ̄∇ ̄) アハアハ…

正直言えば、自分が何を欲して何に向かっているのかもわからないまま、
目の前にある生活を守るために髪振り乱してる部分が大きい。
イヤだろうが何だろうが歯を食いしばってやれ!って自分に言い聞かせてる。
今は甘っちょろいことを言ってる場合じゃないと思うんだ。

でもね、実は、すごくイヤなわけじゃないの、この状態が。
それは、たとえ今が不本意な状態ではあっても、そこでの体験によって、
自分が確実に大切なことを学んでいると感じられるからなのだと思う。

それに、実は、やりたくないことの中にも「やりたいこと」と「やりたくないこと」があって、
それを見極めて選択しているからなのだと思う。

やりたくないことの中の「やりたいこと」を選択すると、
やりたくないこともできてしまうという不思議があることを、私はしみじみ感じる。

その「やりたいこと」と「やりたくないこと」をどう見極めるのかと言うと、
それはもう感覚や直感でしかない。
やりたくないことではあるけど、それでもこれならやってもいいかな、って感じ。
郵便局はまさにそうだった。
よくわかんないけど、これ、これならいい、これしたい、って。

その感覚や直感は、現実に向かい合い、時には不本意ながらも頑張ろうと、
崇高なあきらめ(笑)と勇気を持って動き出した時に訪れるものだと感じる。

今は、自分が選んだやりたくないことの中の「やりたいこと」の中で、
できることを精一杯やろうと思って頑張ってる。

やりたくないことの中の「やりたくないこと」は、
自分をすり減らし、疲れさせ、追い詰めてゆく。

でも、やりたくないことの中の「やりたいこと」は、
やりたいことをやっている時以上の贈り物を与えてくれる気がする。
今、私は、それを受け取って、
自分の中に財産として積み重ねているような、そんな気が。

だから、私は郵便局に通う。
行けば行ったで案外楽しかったりもするのだし。

さあ、未来に向かって行こう、行こう。
そのために、まずは郵便局に行こう(笑)

何の根拠も裏付けもない私の中の感覚が言うのだ。
今の体験がとてもいい体験なのだと。
そして、なんの根拠も裏付けもない私の中の感覚がそれを信頼するのだ。


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