おひさまの日記
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相手の言葉や態度、考え方、生き方、 そうしたものに疑問を感じて批判したくなることってあると思う。
少なくとも私はそう。
イヤな人を、否定して、批判して、 ああいうところがダメ、こういうところが間違ってる、って、 悪く言いたくて仕方なくなる。 だから不愉快なの、だからあんなにひどい状態なの、って。 被害者意識丸出しで。 時には正義感たっぷりに。
でも、ある時、ふと思った。 悪口言うのやめよう、って。 まあ、心許せる家族や友達に愚痴くらいは言いたいが(笑)
イヤなことがあれば、イヤだと思うし、感情もネガティブな方に動く。 人間だからそれは当然だし、それでいいと思う。 問題なのは「ネガティブになる」ことじゃなく「ネガティブでいる」こと。
その瞬間の自分の反応はネガティブなものでいい。 でも、そのネガティブな気持ちを、あたかも自分の大切なもののように、 いつまでも持ち歩くことがよくないだんと、ふと思ったのね。
相手によって感じた、怒り、悲しみ、こわさ、つらさ、理不尽さ、悔しさ、 そんな不愉快な気持ちをガマンすべきだってことじゃない。 それはむしろしっかり感じるべきだと思う。 感じた上で、それをどう料理するかが大切。 どう料理して、どんな形にして、自分のものにするか、が。
ネガティブなものとして不愉快なままそれを持ち歩くのか、 料理して別のものとして人生の糧にして持ち歩くのか、その違いだ。
誰かが誰かの悪口を言っているのを聞くのは決していい気持ちじゃない。 聞いているうちにだんだんその重たいエネルギーに飲み込まれて、 自分まで重苦しくイヤな気持ちになってくる。 逆に自分が誰かの悪口を言っている時も、周りの誰かをそうさせている。
そういう話は進歩がない。 同じ場所をぐるぐる回る。 怒り、恨み辛み、憎しみ、さげすみ、否定、批判、 暗く出口のない場所でわんわんと鳴り続ける不協和音のようだ。
そんなものをいつまでも自分の人生の要素にしたくないと思った。 どうせ持つものを選ぶなら、そんなものは持ちたくない。 持つなら持ってて心地いいものを持ちたい。
だから、ネガティブな気持ちをさんざん感じたら、 それを自分の中で料理して心地よいものにして持ち歩きたい。
人生の中で出会う人は、例外なく自分の鏡であり、成長のためのテキストだ。 ネガティブな感情の波が去ったら、すべきことは、 そこから自分が何を学ぶべきか、 そこで自分はどう考えどう振る舞いどう行動すべきか、 それを考えることじゃないかと思った。 そして、それを実行することじゃないかと。
それをしていないから、私、今、同じ場所でくすぶってるような気がした。 目の前に横たわる問題がいつまでもなくならないのは、 きっとそのせいじゃないか、って。
ここしばらく、そういう作業をするのを忘れてたわ。 日々に追われ、髪振り乱し、雑音と共に生きてたわ。
だから、この辺で、またリセットしようと思ったの。 自分の在り方、自分の生き方を。 忘れてた大切なこと思い出そうって。
あれを、これを、やってるつもり、頑張ってるつもり、は、もういい。 「何をやるか」じゃなくて「どうやるか」が大切だと思った。 今自分を取り巻くものの中でどう生きるかが。 どう生きるかによって、自分を取り巻くものも変わるのだと。
世の中には色々な人がいる。 色々な人がいるゆえに問題が起こることもある。 人間関係でイヤな思いをしたことがない人なんていないはずだ。 ここで忘れちゃいけないのは「色々な人」の中には自分も入ってるってこと。
人生を料理しなくちゃ。 自分に訪れる色々なものを料理しなくちゃ。 目の前にあるものをどういうものにするかは、自分次第。 せっかく生きてるんだもの、いいものにしたい。
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