おひさまの日記
日記インデックス|前の日の日記を読む|次の日の日記を読む
休みの今日、必要なあれこれを買い出しに、某ショッピングセンターに行った。
色々なお店を見ていると、当然欲しいものがみつかる。 今日もどうしても欲しいと思うものに出会ってしまった。 「魔女の宅急便」と「風の谷のナウシカ」のそれぞれの原作が、 セットになってヴィレッジヴァンガードに売っているではないか。 欲しい、欲しい、どうしても欲しい〜〜〜〜!!!!!
でも、月末の帰省旅行を控え、今、我が家の家計は…(笑) 食費切り詰めてるくらいだから、そんなものを買っているゆとりはない。 そうだよな、そうだよな、こんなの買ったらいかんよな。
心はスーパーの通路でお菓子欲しさに寝転がって泣き叫ぶ子供同然。 大人なのでそれはやめておいて、ただその原作セットの前に立ち尽くす。
手に入らないのだと思うと、ものすごく悲しくなった。 そんな私の耳に届くのは、試聴のために店が流している、 ジブリの映画音楽をピアノで演奏した曲を集めたCDの中の「テルーの唄」。 泣けといわんばかりじゃないか。 マジで涙目になった。
欲しいものも買えないなんて… 欲しいものが手に入らないなんて… 静かで重たい悲しみがひたひたと押し寄せてくる。 すべてが絶望的に思えた。 悲壮感たっぷりに、まだ終わってない買い物のために、 ヴィレッジヴァンガードを後にした。
そして、買い物を済ませた帰りの車の中でのこと。
助手席の私は、ふとサイドミラーに映る自分に気づいた。 鏡の中の自分を見て思った。
「足りないものがあるようには見えないなぁ。 すごく満ち足りているように見えるなぁ」
なんとなくそう思った。 そして、なぜだかわからないけど、本当にその通りだと思った。
そんなことを考えていたら、また私の中にぽわんと浮かんできたことがあった。
「私はあの原作のセットが買えなくて本当に悲しいんだろうか。 買えないことがそんなにつらいことなんだろうか」
次の瞬間、明確な答えが浮かんだ。
「ううん、違う。 原作セットが買えなかったことが悲しいんじゃない、つらいんじゃない」
と。
「じゃあ何がこんなに悲しいんだろう?」
自問自答。 また答えが浮かぶ。
「昔、欲しいものが手に入らなかった時の痛みが、今再現されているだけ」
そうか、そうだ。 いやっちゅーほど仕事でやってたよなぁ。 子供の頃の体験から刻み込まれた感情が、 大人になっても似たような出来事を通して再現されるのだと。 その昔の出来事で感じていた感情を、 今あたかも自分のもののように感じるのだと。
そか。 原作セットが買えなくてあんなに落ち込んだのは、 遠い昔、幼い私が感じていた感情なんだね。 腑に落ちた。
今買えなければ、次の機会に買えばいいじゃない? どうしても欲しくて必要なものなら、どうしても手に入れるじゃない? 今はその時じゃないから手に入れないだけでしょう? そんな自分への問いに「うん!」と答える自分がいた。
重たい気持ちがすーっと軽くなった。 欲しいことには変わりない。 でも、お店で感じたような悲しい気持ちはもうなかった。
もちろん、すぐにでも欲しいし、残念な気持ちはあるけど、 いつか手に入れよう、そう思うと、しょぼんとした気持ちと一緒に、 ちょっぴり楽しみな気持ちも生まれた。
実は、原作セット以外にも欲しいと思うものがあった。 そして、それもまた、同じように悲しくなっていた。
それについても考えてみた。 すると、欲しいけど必要じゃないと思った。 衝動的だっただけで、よく考えると実はそんなに欲しくないとも思った。 なーんだ、そんなに欲しくないんじゃん、自分に突っ込んだ(笑)
そこでも、昔の私の感情がぼわんと出てきて、 欲しいのか、必要なのか、そういう実際のところを越えて、 欲しいものが手に入らない悲しみだけがぼわーんと大きくなって、 私に襲いかかってきていたことに気づく。
私はいつも幼い私の手を引いて歩いている。 小さな私の大切な心を感じながら歩いている。 これからもずっとそうやって生きていくだろう。
それでいい。 それでいい。 大切でいとおしい自分の一部だから。
そして、教えてあげよう、そんな自分に。 もう大丈夫だよ、って。 本当の私は足りないものなどなくて、満ち足りているんだよ、って。 鏡に映ったあの姿が本当の姿だよ、って。 今ここに生きていること、それがすべてで、 本当に欲しくて必要なものはちゃんと手に入るようになってるんだよ、って。 だから、大丈夫、って。
これからも歩いて行こう。 幼い私の手を引いて。 満ち足りた今を重ねながら。
|