おひさまの日記
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神様が願い事を叶えてくれるなら、お願いしたいことがひとつある。 それは、中学3年生の時に仲良しだった友達、やっちんに会わせてください、ということ。
アンナが学校でいじめにあうようになってから、 私も色々なことを思い出し、考えるようになった。
私は、中学3年生の1年間、いじめにあっていた。 今思えば、自分に全く原因がないとは言えない。 結構生意気でイヤなヤツだったから(笑)
昔で言う「ヤキを入れる」ってのもされたし、 取り囲まれてイヤミを言われたり、 机に悪口を書かれたり、持ち物を隠されたり、 ストレスで胃をおかしくして救急車で運ばれるほど精神的に参っていた。
私をいじめていたグループは、いわゆるこわい人達で、 彼女達に逆らって私と仲良くすると自分もいじめられるからと、 クラス中の女の子達は私を無視していた。 中には「無視してごめんね。本当は話したいんだけど、話すと…」と言ってくれる子もいた。
そんなある日、ひとりだけ、私に近づいてきてくれた子がいた。 彼女の名前はやっちん。 おとなしくて目立たなくて、そんなに話すこともなかった子。
みんなが私を避ける中、いつも一緒にいてくれた。 私がつらいであろうことを察して、手紙や交換日記で励ましてくれた。 ピアノが大好きで得意だったやっちんは、私を家に呼んでピアノを弾いて聴かせてくれた。 彼女が大好きだったリチャード・クレイダーマンのレコードを録音したテープをくれた。 お互いに絵が好きで、よく描いていたっけ。 本当にこわくてつらい毎日だったけど、やっちんの存在が私を支えてくれた。 彼女がいなかったら、私は学校に通い続けることはできなかったと思う。 今で言う不登校になり、高校にも行けなかったかもしれない。
それまで、人を傷つけることも、いじめも、平気でしていた私は、 自分が逆の立場になり、いじめられることで、その苦しさを、 そして、やっちんに支えられることで、人のやさしさや思いやりを、 子供心ながら、深く、深く、深く、学んだ。 もし、私にあのいじめがなかったら、 自分の感情のおもむくままに人を傷つけることをいとわない、 すごくイヤなヤツのまま大人になっていただろう。
アンナがいじめに耐えながら学校に通う姿を見ていると、 自分のあの頃の気持ちがオーバーラップし、 アンナつらさが手に取るようにわかって、とても苦しい。 学校の先生も問題視して対応を急いでくれているけれど、 スイッチをパチンと切って電気を消すようには、いじめはなくならない。
まだ私より小さな手でこぼれる涙をぬぐうアンナを見ながら、 ふと、やっちんを思い出した。 ああ、こんなつらい気持ちで毎日を過ごしていた時、 自分を助けれくれたのは彼女、やっちんだったなぁ…と。
今、あらためて、どれだけ彼女の存在が大きかったのかを知る。
やっちんとは同じ高校に行ったけど、高校では新しい友達ができて、 彼女とそんなに仲良くしていなかったような気がする。
今となっては連絡先もわからないことが悔やまれてならない。
アンナのことと、自分のことがリンクし、 あらためて、やっちんに感謝の気持ちがわいてきて、 どうしても彼女に「ありがとう」を伝えたいと思うようになった。 あの頃は、今よりももっと未熟で伝え足りなかった感謝の気持ちを。 あなたのおかげで、今、私はこうして生きているよ、と。
今までも、時々、やっちんを思い出すことがあった。 そして、今、とても彼女に会いたい。 会って「ありがとう」って伝えたい。 どれほど私が救われていたのかを。
あれから30年近く経った今、 やっちんと私の楽しかった時間が、 まるでセピア色の映画みたいによみがえる。 笑い合ったあの時間が私を強くしてくれた。
ねぇ、やっちん、本当にありがとうね。 あの頃はありがとうね。 今となっては連絡を取ることも、ましてや、会うこともないけれど、 やっちんは今でも私の大切な友達だよ。 「友達」という言葉がしっくりくる、数少ない人のひとりだよ。 今どうしてるのかな。 いつか会えたらいいな。 やっちん、本当に、本当に、ありがとう。 やっちんのこと考えると、うれしくて、あったかくて、涙が出そうだよ。
アンナのつらい体験が、私にも色々なギフトを運んでくる。 彼女がつらい中でも多くのギフトを受け取っているように。
私達は常に体験の中にいて、そこから何かをつかむ。 つかんだことから新しい何かが生まれる。 大切なものを取り戻す。
さあ、アンナ、ママとパパと一緒に進もう。
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