おひさまの日記
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2006年02月06日(月) 青い鳥のように

ある方にメールを打っていた。
言葉がするすると出てきて、自分がどうであったか、また今どうなのか、
それがとても明確になった。
自分にとってもとても大切なことなので、それをここに。


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それ(ある状態)を手放すことを決めたら、
今まで私が問題だと思っていたことが何ひとつ問題ではなくなりました。
苦しかった一切の感情が消えました。
なぜだろうと考えてみました。

私は、そこで自分の価値や存在意義を作り出そうとして、見出そうとして、必死でした。
本当はそんなもの作ったり見つけたりしなくても、私の中にもとからあるのに。
だから、そこで、それを阻むと感じるものがみんな私の問題であり、
問題であると同時に私の価値や存在意義を生み出すものでもありました。

受け入れてもらえるとか、賞賛してもらえるとか、喜んでもらえるとか、役に立っているとか、
そこにいる人達の反応によって、そういったことを感じることで、
私は自分の価値を感じようとしていました。
そして、それに成功していました。

けれど、時に、同じ場所で、それと正反対のことも起こります。
受け入れてもらえないとか、ないがしろにされるとか、必要とされないとか、役に立っていないとか、
そこにいる人達の反応によって、そういったことを感じることで、
今度は自分には価値がないのだという痛みを伴った想いが湧いてきていました。

そこでは、人の反応によって、私の価値が生まれたり消えたりしていました。
そして、一喜一憂していたのです。

自分が素晴らしいと感じるために必要なそれらが、
自分を素晴らしいと感じることを阻害する。
外に自分の価値を求めた時にそれが起こることを改めて知りました。

私が苦しかったのは、
私にとって素晴らしいものであるそれにおけるすべてが、私の問題をも作り出す、
そんな幻想の中に身を置いていることだったと、今は思います。

私がそれを手放したら、
私の価値や存在意義を証明していたものがみんな消える。
また、私の価値や存在意義を否定していたものもみんな消える。
そこに残るのは、自分ひとり。
そして、また、その自分の内側から湧いてくる
決して枯れることのない自分の価値であることに気づいたのです。
だから、私の中から一切の苦しみが消えていったのでしょう。
外に求めずとも内側に輝く光を見つけたから。
それは遠くではなく、すぐそばにありました。
まるで青い鳥のように。

それを体感しても、これからも揺れるでしょう。
でも自分の内側に帰る場所ができたように思います。
葛藤し、この場所に帰るためにもがくでしょう。
そしてまた帰ってくるでしょう。
それを繰り返すでしょう。

そうしたら、それを自分のものにしておくか、手放すかは、
どちらでもよいのだと感じました。
だからゆっくり感じてみます。
これからどうするかを。


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