おひさまの日記
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2005年04月05日(火) |
待っていてね、私のインナーチャイルド |
癒しは果てしない旅だと思う。
私の癒しの出発点は、暴力的な父とのトラウマからだった。 これはわかりやすい。 どう考えてもトラウマだからだ。 しっかり覚えているし、ひどい体験だったと自覚している。
そして、幼児期退行によって、それは真っ先に出てきた。 私は人生最大のトラウマに取り組んだのだと思った。 これで私の人生もすっかり変わるんだとさえ思った。
でも、今思うと、あれは単なる癒しの出発点でしかなかった。
その後ももっとわかりにくい入り組んだトラウマに、 私は幾つも直面してきた。 その度に「こんな痛みが、傷が、あったのか!?」と驚く。 そして、それらは、必ずリンクしている。
癒しはだんだん精妙になってくる。 段階を経て、わかりにくいものへと取り組むようになってくる、 そんな気がする。 少なくとも私の場合は。
私達は、子供の頃、現実に起こった出来事から何かを認識し、 自分の潜在意識の中になんらかのデータをインプットしていく。 その認識は、実際に起こっている出来事とは懸け離れていることもある。 要は、自分流に出来事を解釈してしまう。 そして、それを正当なものとして刻み込んでゆく。
暴力や虐待のようにわかりやすいものだけがトラウマとなるのではない。 驚くような些細なことや、 大人になって思えば、あまりにも意外なことが、 深い傷になっていることもある。
今私が取り組むべきだと感じているのは、 大好きな母親との間のトラウマだ。
母が私にひどいことをしたってんじゃない、多分。 そりゃ親子なので、いやなことも言われたし、されたし、 もちろん、私も言ったし、した。 でも、それだけじゃない、多分。
父の横暴さでストレスフルだった母は、 私に対して完璧なよい母ではなかったかもしれない。 けれど、母のイヤな思い出はあまりない。 ないから思い当たりもしなかった。
でも、最近、改めて気付いた。
私がアンナにイライラする時、 それは、私が母にイライラする時と同じだということ。 言われたことを忘れてしまう、 言われた通りにしない、 片付けない、 特にその3つ。 私は母を責めるように、アンナを責めてしまう。 まるで同じなのだ。 母への想いをアンナに投影してるかのように。
思い返してみれば、これらは、母がしでかして、 父が狂ったように母を怒鳴り散らして暴れた原因でもある。
現実の現象を見て、私は潜在意識の中にある隠れたものを察したりする。 記憶にはない。 でも、現実の現象は潜在意識が作り出すもの。 だから、記憶にはなくても、そこには現象を生む「何か」がある。
私はひょっとしたら、お母さんがちゃんとしないから、 お父さんがこんなに怒鳴るんだ、家の中がメチャクチャになるんだ、 お母さんのせいだ、お母さんのせいで私はこんなに苦しいんだ、 なんとかしてよ、ちゃんとしてよ、お父さんを怒らせないでよ、怖いよ、 そんな認識をしていたのではないだろうか、ふと、そう思った。
私は時々無性に母を責めたなる。 理由はどうあれ、ちょっとした母の失敗を見つけると、 ここぞとばかりに痛めつけたくなる。 責めて、責めて、責めて、お前が悪いのだと突きつけたくなる。 そして、ものすごい悲しみに襲われる。 勘弁してよ、助けてよ、わかってよ、 あんたのせいだよ、私がこんな気持ちになるのは、って。 謝れよ、謝れよ、って。
幼い頃に押し殺した感情は、自分自身に認識されることはない。 でも、消えることなく無意識の中でくすぶり続けている。 だから、大人になって、 その押し殺した感情を体験していた時と同じような状況が訪れると、 自然にスイッチが入り、得体の知れないよくわからない感情として、 突然それが襲ってきて、戸惑ってしまうのだ。
でも、ないものとして押し殺してきて、認識していないので、 それが何なのか、そして、なぜそんな気持ちになってしまうのか、 さっぱりわからず、ただ、その感情に翻弄されてゆく。
そして思う。 どうして私はこうなるの?って。
きっと私もそんな感情を体験しているのだと思った。
1月に大きな自分のテーマに出会い、 その後、人生の流れが大きく動いた。
そして、次のテーマはきっとこれ。 これをなんとかしたい、今、そう思う。
私の大切な母、そして、娘を、愛するために。 愛のままに、愛するために。 大切な人を、ただ、大切にするために。 愛したいという人間の根源の欲求を満たして、 私も、私が接するの周りの大切な人も、幸せになるように。
だから、今、私は私に声をかけ続けている。
今まで無視しててごめんね、 今さら信用してなんて言っても信用できないよね、 心開けないよね、出てこられないよね、ずっと無視されてきたんだから。 でも、今私はあなたを見ているよ、 その気持ちとってもよくわかるよ、 これからは絶対に見捨てないよ、味方になるよ。 辛かったんだよね、助けて欲しかったんだよね、 どうしていいかわからなかったよね。 これからは私があなたを助けてなんとかするよ。 いつまでも待ってるからね。 もう二度と無視なんかしないよ。
そのインナーチャイルドに出会うために、私は、また祈る。
癒しは果てしない旅。 でも、決して諦めない、投げ出すことのできない、 いや、投げ出したくない旅。 途中、どうでもよくなることもあるし、 まるで傷などないように感じて過ごすこともある。 それでも続く癒しの旅。
お母さん、アンナ、待っていてね。 愛したいように愛せる日まで。 愛のままに愛せる日まで。
そして、誰よりも何よりも、小さな私、待っていてね。 内臓がねじれてちぎれていくような痛みの中で全身を震わせ、 ずっとひとりでうずくまっている小さな私、 必ず助けてあげるからね。 今私はとても幸せで、多くを受け取っているから、 それをあなたに必ず届けに行きます。
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