おひさまの日記
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2005年02月28日(月) 私の好きなふたつのことわざ

風邪で鼻がずるずるの、声もわもわ。
この仕事では一番それが辛い。
でも、そういう時、なぜかセッションがないラッキーな私。
うまくできている。
そんなちっぽけなことだけど、今日も幸せを感じるわぁ。

と、まあ、それは本題には関係なくて。

「吉凶禍福はあざなえる縄のごとし」ということわざがある。
吉と凶、悪いことといいことは、編まれた縄のように交互に訪れる、
そういう意味。

そして、以前も日記に書いたけれど、
「人間万事塞翁が馬」ということわざもある。
私達に起こる出来事は何がいいのか悪いのか後になってみなければわからない、
そういう意味。

私はこのふたつのことわざが好きだ。
そして、このふたつのことわざが意味するところが真実だと感じている。

セッションを受けると、
まるで人生がパラダイスになると思っている人もいる。
でも、ならないと、私は思う。
何度かのセッションで人生がバラ色に変わるなら、
この世界に苦しみもがく人はいなくなるだろう。

が、楽になることならできる。
けれど、イヤなことや辛いことはなくなりはしない。
ある意味、イヤなことや辛いことは自分の反応でもあるからだ。
すべてがそうでないとしても、ほとんどがそうだ。
だから、自分が何かに反応し続ける限り、そこに痛みはあるし、
反応がないような人間になるとしたら、
もはや肉体を持って生まれて来る必要はないだろう。
神の域だ。

その「反応がない」というのは、
痛みを感じないようにするために感覚を麻痺させてことによって
陥る無反応とは根本的に違うと付け加えておこう。

死ぬまで悲しいことや辛いことは続くはずだ。
じゃあ、幸せとは何かと言えば、
そういうことに振り回されず、
そういうことと上手に付き合えることだと思う。

ばあさまになった時、そういう人であれたらと思う。

人生の喜怒哀楽をまっすぐに受け止めて、感じて、時に翻弄されつつ、
でも、それにとらわれることなく、
さらさらと流れる川のように、流れていく、そんな人。
すべてがそこにあって、そして、すべてがそこにない、そんな人。

セッションを受けたのに辛いことがありました、と、失望する人もいる。
でも、私は言いたい。
あなたはとても順調なのですよ、と。

私達の人生はすべてがコントラストになっていて、
対比するものがあるからこそ、その反対のものがよく見える。

神様はうまくお作りになられたものだ。
辛いことから学び、喜びを感じ、それを繰り返すようにできている。
その中で成長するようにできている。

魂が成長を望んでいる限り、
私達はあざなえる縄のごとく繰り返される、
アップダウンが続く人生から離れることはないのかもしれない。
それこそが私達の魂が望む現実なのだから。
そして、人間万事塞翁が馬、
後になってあらゆることが自分にとっての幸いであることに気付くのだ。
気の遠くなるような時間がかかったとしても。


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