おひさまの日記
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昔の私にとても強い傾向としてあったものが、犠牲することだった。
相手に、その場に、受け入れられたい、喜んでもらいたい、 そんな一心で、夢中になって何かをしてしまうのだった。 それが成功し、受け入れられ、喜んでもらえると、本当に嬉しかった。 そして、それが、自分の存在価値の証明だった。 だから、一生懸命に何かをするのだった。
けれど、しばらくすると息切れしてくる。 無理が出てくる。 時には自分では無理していることに気付かず、 体に出て、体調を悪くしたり、病気をすることもあった。 それなのにやめられない。 やめてしまったら相手にとって自分の価値がなくなる、 やめてしまったらその場所にとって自分がいる意味がなくなる、 それが怖かったのだ。
無理が続く。 限界が来る。 とうとうしていたことをやめる。 ものすごい不安定になった。 人間関係が破綻したり、その場所にいられなくなることもあった。
時には、そんな不安定な自分を、相手やその場所のせいにした。 求められてもいないのに、自分から過剰に切り込んでいって、 あれやこれやとやっていただけなのに、 見返りを期待し、それを受け取れないと、相手を憎く思った。 「こんなにしてあげたのに」って。 相手はしてもらうことなどこれっぽっちも望んでなくて、 こっちが勝手にしてただけなのに。
今は、怖いけれど、できないことをできないと認めるようになった。 無理があれば断るようになった。 とても楽になった。 そして、そうやってまっすぐな自分でいても失うものはないのだと知った。 逆に、失うものはどんなことをしたって失うものだとも知った。
自分を犠牲にして何かを手に入れても、 それはいつか自分の手をすり抜けていってしまう。 自ら手放してしまうことだって多くあるだろう、苦しいから。
人は犠牲を愛や努力だと思うこともあるんだよな。
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