おひさまの日記
日記インデックス|前の日の日記を読む|次の日の日記を読む
2004年12月10日(金) |
苦しみや困難の中にいたい意味 |
人と話していて「辛いんだ、大変なんだ」という話を聞くことがある。 そして、そう言う人達の何人かに共通することは、 今の辛くて大変な状況から抜け出せないと信じていることだ。 「楽になることなんかあり得ない」みたいな感じなのだ。
じゃあ、そう言う彼女達が楽になりたくないのかと言うと、 そうではなく、楽になりたいのだ。 でも、楽になどなれないと思っているみたいだ。
やりたいことがある、でも、それは無理なんだ、 夢がある、でも、今の状況じゃできないのは仕方ないんだ、 私こんなことしたいのに、○○だからできないんだ、大変でしょ?
そんな感じの言葉を何度聞いたことか。
そして、私はいつも言葉を飲み込むのだった。
そんな時、 「恵美ちゃんの人生は波瀾万丈、激動のドラマみたい」 と友達に言わせた私のドロドロの20代の頃を思い出す。
その頃は、私もそうだったなぁ。
苦しい時、思い通りに行かない時、必ずこう思った。 「絶対に上手くなんていきっこないんだ」 人に話すことは不幸自慢だった。 いかに自分がうまくいかないか、ひどいことばかりあるか、 そんなことばかり話していた。 今思えば、聞いてる方はたまったもんじゃない(笑)
おかしいよね。 幸せになりたいはずなのに、幸せになれないと信じてるなんて。
それは、もちろん、 何度も幸せを願って、何度もそれを打ち砕かれて、 繰り返し、繰り返し、絶望し、痛みに這うように生きてきて、 そうなってしまったのだとは、思うけれど。
それにしても、あの頃私はあきらかに矛盾していた。 幸せになりたいのに、願いを叶えたいのに、 幸せになれない!願いは叶わない!と思っていた。 人にどんなにいい話を聞こうと、それを断固否定して思った。 「でも私は無理なんだ」って。 幸せになれない!願いは叶わない!って思ってたんじゃなくて、 『思いたかった』ことに気付いた。 苦しみの中にいたかったんだな。
道は開けること、幸せになれること、願いは叶うこと、 それを断固信じたくなくて、 自分が堕ちてゆくことばかり望んでいたように思う、無意識のうちに。
幸せや成功を信じないことを貫くことで、 「私はこんなに辛い!私はこんなに大変!」、 きっとそう訴えたかったのだと思う。 誰かに向かって。 きっとその根源は親に向かって。
そして、それが私の、 苦しみや困難の中にいたい意味だったのだと思う。 だから、手放せなかった。 自ら苦しい場所に居続けるという行為を。 だって、もし、それをやめてしまったら、 「苦しいよ、大変だよ、助けてよ」って伝えられなくなるから。 自分がダメな人間だと信じ続けることも、同じ行為だった。 そうやってインナーチャイルドの叫びを、 無意識のうちに外に向けて発していた。
癒しを進めていくと、徐々にだけど、嘘のように人生がスムーズになる。 私の人生も、あの頃から考えると、嘘のように恵まれ、スムーズだ。 それは、いいことばかりあるという意味ではない。 あの頃と同じ、辛いことも、苦しいこともある。 けれど、同じ場所に居続けないのだ。 人生が流れる。 滞らずに流れる。 次の場所、次の場所へと、どんどん流れてゆく。 そして、人生の折々での出来事から学びを得られる。 人は幸せになれると信じているから。
苦しみや困難の中にいたい意味に出会って、 自分を痛みごと抱きしめた時、 私は、今の私になるべくして、流れ始めた。 そして、今の私は、未来の私になるべくして、流れ続けてゆく。
|