おひさまの日記
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私達は、ポジティブ、ネガティブ、両方の感情や思考を持っている。 そして、それは、とても普通なことであり、当たり前のことだ。
だから、想念を見張る。 自分が今どんな想念であるかを知り続ける。
そして、それがどんなものであろうと裁く必要はない。
ただ、自分がどんな想念を持つ人でありたいかを選ぶだけでいい。 無理矢理ポジティブになろうとせず、 ネガティブなものを十分に感じた後、ただ選べばいい。 自分の中にある、ポジティブ、ネガティブ、数多の感情と思考の中から、 最終的に自分はどれを自分のものとして選ぶのかを決めるのだ。
ネガティブになる自分を責める人がいる。 でも、責めなくてもいい。 人のネガティブな感情や思考は、 よほどの聖人でない限り、生きていればついて回る。 そして、それが悪いのではない。 陰陽表裏一体、ネガとポジは常に相反する要素として同時に存在し、 どちらか片方だけということがないように、 私達人間が持つ感情や思考にはネガとポジのどちらもあるのだ。
だから、その中のどれを自分のものとして選択するかが問題なのだ。 どれを選択し、どれを自分として表現するか、なのだ。 そして、選んで、選んだものになった自分が、自分になるのだ。
心地よいと感じ、選びたいと思うのは、 往々にして、怒りや悲しみの裏にある、学びや気付きへの感謝だ。 そして、自分の不安と恐れからの反応を越えて真実を見た時の喜びだ。 ネガティブの裏にあるポジティブだ。
だから、私は自分の想念を見張る。 それは苦行ではない。 むしろ楽しいものだ。 ネガティブな自分を発見し、そのネガティブの根源に出会い、 痛む部分に共鳴し、抱きしめ、 ネガティブがポジティブに変換される瞬間がたまらない。
だから、私は自分の想念を見張る。 自分の中心に帰るために。
書き終わって読み返し、 思った。
なんか、わかりにくい文章になっちまったよ。
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