おひさまの日記
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2004年08月27日(金) 意図的に気付くということ

ある友達とやりとりをして、私は内心おもしろくなかった。
それは、くだらないっちゃくだらないことなんだけど、
彼女に見下されたように感じたのだった。
ま、勝手にね、そう思ったんだけど。
何言ってんの!?みたいに扱われたように感じたのね。

私はだんだんイライラしてきた。
そして、彼女がにくらしく思えてきた。

でも、それと同時に、自分の言動が彼女をそうさせたのかと思うと、
それなら、そういうことを言ってしまってごめんね、と、
伝えたい気持ちになった。

怒りを感じている私と、謝りたい私。
ふたりの私。

私は自分を感じてみた。

怒りの下には必ず悲しみや寂しさがある。
これはもう法則みたいなもんで間違いない。

私の怒りの下には、
「見下された(ように感じた)、バカにされた(ように感じた)、
 お前はダメだと言われた(ように感じた)、
 お前はしょせんその程度と言われた(ように感じた)」
そんな想いが潜んでいることに気付いた。
それは悲しみだった。
そして、そう思われている(と感じている)自分への罪悪感。
そう思われるようなことをしてしまう自分への蔑み。
だから私は否定されるんだ、という痛み。
自分の言動のよしあしにかかわらず、
謝って許してもらおう、受け入れてもらおうという悲痛な衝動。
そんなものに気付いた。

私の場合、これは意図的な気付きだ。
ただ感情に浸っているだけでは気付けなかったと思う。

感じることが大切、とは言うけれど、
こういう時、私は頭で考える。
人の心や意識はこうなってこう動く、
感情はこうなってこういうふうに表れる、
だから私は今こういう気持ちなんだな、って結論に辿り着く。
学んできたそういう知識を総動員するのだ。

そして、辿り着いた結論を自分に当てはめてみると、
「そうだよ、そうなんだよ」と、
ちゃんと心が納得してくれるので、
もっと具体的に言うと、怒りの中にが悲しみが出てくる。
そして、ああ、悲しいよぅ、寂しいよぅ、
そんなこと言わないでよぅ、そんなふうに扱わないでよぅ、
そんな心の叫びを感じることができる。

頭で考えること、心で感じること、それを組み合わせてやっていく。
それが意図的に気付くということだ。

私は、怒りも、自虐的な気持ちも、
どちらも真実ではなく、
ただ単に、友達にそういう態度をされたと感じて悲しかったのだと気付いた。
インナーチャイルドの嘆きだ。
小さい頃、おとたまとおかたまとの間で起こった痛い出来事の再現だ。
だから、そういう痛みの観点でコミュニケーションしようと決めた。

癒しを進めながら、現実の生活で機能していくために、
それはとても必要なことだ。
だから、ただただ受動的に癒されるだけでなく、
やがては知恵になっていく知識を持つべく学ぶことも大切なのだ。
それも、学校に行ったり、難しい本を読むのではなく、
精神的に成熟している人の話を聞いたりするだけだっていい。
明らかに勉強という形を取らなくても、
興味のあることは自然に自分の中に入っていくものだし。
どんな形にせよ、理論で構築されたものを得ていくのは重要だと思う。

意図的な気付き、それが自発的にできるようになると、
実生活の中での人間関係がスムーズになる。
人間だから感情は動くけれど、
その感情の本質を知って言動を決めていくことができるようになる。
それだけだって生きるのはかなり楽になる。
人としての成長も起こる。

で、私と友達はどうなったかと言うと、
「なんか私ヘンなこと言ったかな?
 自分で後から○○と○○がいけなかったと感じちゃったんだ」
と、自分から伝えてみた。
すると、彼女はまったくそういうつもりはなく、
私が言ったことはまったくその通りだと思っていて、
冷たく感じた態度は、眠かったから、というのが結論だった(笑)
彼女は返ってすまないと私に謝った。

私の怒り自虐的な気持ちは消え、
彼女への申し訳なさでいっぱいになった。
心の中で「ゴメン」って彼女に謝った。

意図的な気付きをしなかったら、
心の中にしこりを残したまま、友達と距離を置いていたと思う。
しかも「あの子ってさ、結構キツいんだよねぇ」なんて全くの主観で、
ひょっとしたら誰かに噂してしまっていたかもしれない。

あ〜、自分の真実に戻れてよかったっす、
と、しみじみ思ったのだった。

こういうある種のワザを身につけられたのは、
やはり、心理学やセラピーを学んだからなんだと思う。
そして、これは、セラピストだけじゃなく、誰だってできることなのだ。

堅苦しいことは言わない。
誰かに怒りを感じたら、嫌いだと思ったら、
自分はその人に傷付けられないように防御をしているのだと思ってほしい。
そして、その怒りや嫌悪の下には、悲しみや寂しさが渦巻いているのだ。
それらが過剰に反応して、
悪くない相手まで悪者にしてしまうこともあるのだ。
だからこそ、そんな自分に気付いてあげて、
そんな自分のために、実生活で動いてあげるのだ。

自分にとっての大切なものを失わないためにも、
そして、何より、自分の心の健康のためにも、
意図的な気付きを習慣にしてみると、結構、人生楽しい。
苦しい気持ちも乗り越えやすい。




眠いので文章がしっちゃかめっちゃかかも…


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