おひさまの日記
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2004年05月15日(土) 明日死ぬとしたら

こんな実話がある。
団地に住むあるお母さんが、
団地の下で他のお母さん達と立ち話をしていたら、
自分の家のベランダの手すりを超え、自分の子供が落ちたのを見て、
ものすごいダッシュで走り、落ちてきた子供を受け止めたという話。

これは、人間が無意識のうちに、
できないと思っていた限界を超えるという話。
無理だと思っていたことをやってのけてしまう話。
潜在意識の力を使うという例だ。

これを分析した専門家がいる。
まず、母親がいた場所から子供が落下した地点までの距離を、
どのくらいのスピードで走れば間に合うかを計算したところ、
オリンピックの100メートル競技で金メダルを取った選手よりも、
速く走られければ間に合わなかったそうだ。
また、子供の体重と落下した距離とスピードを考えた時、
その子供の重さは、通常、普通の女性が受け止められるような
重さではないくらいのものすごい重量になるそうだ。
それが何キロくらいになるかは忘れてしまったけど。

普段ならできないことを、その母親はやってのけた。
なぜ、不可能が可能になったのか。
それは「非常事態」だからだ。

「非常事態」は人間の限界を壊す。
人間の限界とは、頭で考える限界。
これは無理、あり得ない、できない、そんな想いだとも言える。
そして、その想いは、私達人間が発揮できる力を決定する。
しかし、この場合、非常事態であり、
その場にいた母親に、落下してくる子供を見ながら、
「あら、間に合わないわ、無理ね」と考えているゆとりがあるだろうか?
絶対にないはずだ。
母親は「私が受け止める!」という一念のもと、
落下してくる子供を見た瞬間にダッシュしたはずだ。

それが、人間の限界の枠が壊れた瞬間だ。

母親には「子供を受け止める」という想い以外なにもなかった。
それがすべてだった。
葛藤がなかった。
それが、潜在意識の力をフルに引き出す起爆剤になったのだ。
普段は「どうせ無理」とか「ああしたらこうなる」という不安やあきらめ、
顕在意識が邪魔している。
一瞬それがなくなったのだ。

潜在意識は人間の意識の90%以上を占める。
普段、私達が、ああでもない、こうでもない、
できる、できない、辛い、辛くない、と、ごにょごにょ考えているのは、
残りほんのわずかな数%の顕在意識(表面の意識)でやっていること。
顕在意識は既成事実や既成概念の集大成であり、
いわば、世の常識や、自分の体験に基づいた判断による思考が詰まっている。
それが私達の日常をコントロールしている。
けれど、潜在意識は「潜在」と言われるだけあり、
私達は普段認識することがない意識だけど、
そこには人間が想像もつかない無限の可能性と力がある。
私達人間の本能や本質、そして私達という「個」を超えた力を備えている。

そんなものすごい力を持った潜在意識だけど、
普段は表で仕切っている顕在意識に制御され、表には出てこない。

では、どんな時、潜在意識は表に出てくるのか。
それは、顕在意識に邪魔されなくなった時だ。
そんな時、頭であれこれと考えたりしなくなる。
潜在意識そのものとなり、自分の本質に正直に忠実になる。

上の例もそのひとつで、
非常事態に置かれ、既成概念による判断がなくなるので、
潜在意識は押さえられていたフタがなくなり、
勢いよく飛び出すことができる。
母親は「子供を助ける」というただひとつの目的に葛藤なく忠実になる。
その時、私達は、普段自分にあてがっていた限界や制限、枠を超える。
超えて、信じられないような力を発揮することがある。
そして、信じられない奇跡を起こし、子供を受け止めたのだ。

ポイントは、潜在意識とつながる、ということ。

そこまで劇的なことはそう多くないにしても、
私達だって、潜在意識に出会って自分の真実を知ったり、
その秘めたる力を使うことはできる。

前置きが長くなったけれど、私のことをちょっと書こうと思う。

昔、私が八方ふさがりになり、
もうダメだ、何もできない、どうにもならない、
そうやって暗い場所にハマって限界まで来ていた時、
私の中にこんな考えが浮かんできた。

「明日死んでしまうとしても何もできないの?
 できるできないじゃなく、やるんじゃないの?
 食べないと死んでしまうとしたら、物乞いだってできるんじゃないの?
 できない、ダメだって言ってるのは、まだゆとりがあるからじゃないの?
 死ぬつもりになれば、後先考えず何だってやれるんじゃないの?
 苦しかろうがなんだろうがやるんじゃないの?
 結果はどうでもよくて、動けるんじゃないの?」

暗いアパートの真ん中でひとり考えた。
不安や恐れが作り出していた私の限界が壊れた瞬間だった。

死という緊迫した状況を仮定することにより思考の転換をし、
私は今まで表面で頭の中を支配していた呪縛のような考えを打破した。
そして、理屈抜きに深い場所にある自分の本当の気持ちと衝動に出会った。
落ちてきた子供をキャッチするほどドラマチックなものではなかったが、
永久不変にも思えた悲劇の場所から離れた瞬間だった。
私にとって、それは奇跡だった。

そして、私は迷わず行動し、人生の流れを大きく変えた。
今思えば、ものすごい勇気だったと思う。
決断し行動した時のことを、あまりよく覚えていない。
気がついたら、それが終わって、呆然と新しい環境の中にいた。
ものすごいしんどかったはずだ。
でも、無我夢中でしんどいことさえどうでもよくなっていた。
とにかく突破しよう、ただそれだけの想いで動いていた。

それから私は、
何かあった時「明日死ぬとしたら」と考えるようになった。
そうすると、自分が本当に大切にしたいこと、貫きたいことがわかる。
ぐるぐると同じ場所を回り、ごにょごにょといつまでも言い訳をし、
ひたすらひたすらくすぶっている顕在意識を超えて、
自分の奥の方で自分の真の衝動が生まれようとする力に身を任せることができる。
自分の中で葛藤がなくなる瞬間が生まれる。
常に葛藤がない状態なんて神様じゃないしあり得ないけど、
切り取った瞬間瞬間になら、それを体験することはできるのだ。
そして、わずかな瞬間だけでも、それは十分なのだ。

この私の体験は、それが決していい方法という意味ではない。
単に、私の印象深い出来事だということ。
それは付け加えておきたい。

それに、明日死ぬとしたら、
フラストレーションのはけ口に、
人に迷惑かけることしていいんだ、人を傷付けていいんだ、
なんてふうな解釈はいただけないし、それは違う。

それに、潜在意識はすべての不可能を可能にするわけではない。
厳密に言うと、潜在意識は、その力を発揮し得る器がある時に活用できる。
例えば、普通の人が、潜在意識とつながったからと言って、
いきなり100キロのバーベルを上げることはできない。
単純に筋力がないからだ。
限界を超えるには、限界を超えるための力を発揮する下地が必要になる。

と、いうことで、ちょっと話はそれたけど、
考えるのはタダ。
明日死ぬとしたら。
試してみると何かが見えるかもしれないよ。


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