おひさまの日記
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2003年01月31日(金) 大人の涙

昨日は子供の涙から感じたことを書きやした。
今日はその続編っぽいことを書きたい気分。

昨日は、子供の涙を見るのが辛い、
泣く子供をどうしていいかわからない、どうにもできない、
無力な自分に腹が立って、泣く子を制したり、怒ったりしてしまう、
そんなことを感じたけど、
実は、それは、子供を見る親だけでなく、
すべての人間関係において言えると思ったのね。

大人同士の人間関係においても、
特に夫婦なんか、相手が感情をどわぁ〜っ!と表現してきた時、
それを受け止めるのが辛くて、
もしくは、受け止めてもどうにもできなくて、
どうしていいかわからなくて、
そんな自分がイヤで、そっから逃げることがある。
相手を責めたり、否定する形で逃げることもある。

しかも、無意識にソレやっちゃうから始末におえない。

私が知っている人でもそういう人がいる。
コミュニケーションから上手に逃げるタイプで、
肝心な話題になると、わかりまっしぇ〜ん!みたいな態度になったり、黙ったり。
訳わかんねー理屈こじつけて、人の言い分ひたすら否定したり。
それでパートナーとの関係サイアクなものにしてる。

でも、よっく感じていくと、その人は相手に心をオープンにされると、
受け止められなくて、どうしていいかわからなくて、
いたたまれなくてそっから逃げてるみたいだ。
パートナーの寂しさをキャッチしても、どう扱っていいか分からないのだ。
相手の痛みをまともに受け取ってしまうと、
自分も苦しくて仕方がなくなってしまう。

昨日の日記のように、
自分が泣いている子供を見て「泣くな」と制するのと、
彼女が寂しさをぶつけるダンナさんから逃げる行為は、
実は同じことなんだな、って、思った。

私達は、相手を救えない、相手に応えられない、
そんな自分が苦しくて、そこから立ち去ってしまうことがあるのだ。
そして、相手はそれを見て、拒絶されたと誤解してしまう。
そこには立ち去る者の見えない涙がある。
聞こえない叫びがある。

私達は自分の「反応」を自分の「本当の気持ち」だと誤解している。
でも、「反応」と「本当の気持ち」は別モノなんだよね。
大人の見えない涙は、「本当の気持ち」の方に潜んでいる。

子供のように、寂しいのだと上手に言える大人が、一体どれくらいいるのだろう?
上手に言えるなら、人が寂しいと言った言葉も上手に受け取れる。
もし、みんながそれを口に出せたら、世界はもっと平和になるに違いない。
大人が深い意識の奥で流す見えない涙が、見える涙になったら。



「フランダースの犬」とか見た時のああいう涙とは別モノですから、
くれぐれも(笑)


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