おひさまの日記
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2003年01月30日(木) 子供の涙

アンナの大の仲良しの女の子が都内に引っ越すことになった。
アンナとその子、Sちゃんは、お腹の中にいる時からのお友達。
つまりだね、Sちゃんのママと私は、陣痛室で友達になったのだ。
出産後退院すると、偶然にも彼女が私の住むマンションに越して来たのだ。
そして、転勤族だった彼女は去ってゆく。
Sちゃんを連れて。

今日、アンナにその子がいなくなることを伝えた。
アンナはみるみるうちに泣き顔になった。
そりゃそうだ、生後3か月から今までずうっと一緒だった。
ケンカもしたけど、一番の友達、4歳でも別れはどんなものかわかるのだ。
アンナの大きな瞳から、涙がぽろぽろこぼれた。

その時、私は複雑な気持ちになった。
泣いているアンナを見て「泣かないで」と言いそうになった。
悲しいから泣く、そんな彼女の自然な行為を制しそうになった。
普段から「悲しい時はいっぱい泣きなさい」と言っているクセに。
「離れても会えるよ」「お電話でも話せるよ」と、
矢継ぎ早に機嫌をとるようなことを言い、彼女の悲しみをごまかそうとした。

本当は、大好きな友達との別れに直面し、
悲しみをいっぱい感じたアンナを思い切り泣かせてあげたかった。
だっこして、涙枯れるまで背中をとんとんしてあげたかった。
でも、それができなかったのだ。
私の子育てのポリシーである「最初の感情をとことん感じさせる」、
それがどっか遠くにすっ飛んで、体のいい親のエゴの押し付けになった。
励ますことなど、後でいいのに。

なぜか?

それは、アンナに泣かれると困るからだ。
泣いているアンナを見ると純粋に辛いからだ。
小さな指で涙をすくいながら、体を震わせる自分の子供を見るのが辛いからだ。
私自身の中にもある何かと連動し、その光景は私の胸まで痛くさせるからだ。
見たくないのだ、子供が泣いているところなんて。
どうしていいかわからなくなる。
悲し過ぎるのだ。

そして思った。
大人はみんな子供の涙を見たくないんじゃないかな、って。
それは、辛いから、いたたまれないから。
それをどうにもできない自分がふがいなくて、
もし、子供を泣かせたのが自分なら、こんなにも苦しめてしまったのだと感じて。
どうしていいのかわからなくなって。
子供への「うるさい!泣くな!」という親の叫びは、
「あなたを救えない私を許してちょうだい」という親の叫びでもあるのかもしれない。

だからこそ、私は、いっぱいアンナを泣かせてあげようと思った。
逃げないで。
私自身をも救うために。

涙枯れるまで泣いて、悲しみを感じ切って、子供が笑顔を取り戻した時、
それを見届けられた親は、きっと、大きな満足感を得るだろう。
人生の大きなワークをこなしたからだ。
「すべてを受け入れる」という大切なワークを。

感情は感じ切るのだ。
感じ切った時それは消えるのだ。
それを一番よく知っているのは子供。
そして、その真実を実践しようとする子供を制するのは、
感情を感じ切らずに大人になってしまった親なのだ。
そんな親が、また感情を感じ切らない子供を世に送りだす。
ちょっとずつでもいい、今からだってできる。

子供の涙は、たくさんのことを教えてくれる。


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