おひさまの日記
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アンナの大の仲良しの女の子が都内に引っ越すことになった。 アンナとその子、Sちゃんは、お腹の中にいる時からのお友達。 つまりだね、Sちゃんのママと私は、陣痛室で友達になったのだ。 出産後退院すると、偶然にも彼女が私の住むマンションに越して来たのだ。 そして、転勤族だった彼女は去ってゆく。 Sちゃんを連れて。
今日、アンナにその子がいなくなることを伝えた。 アンナはみるみるうちに泣き顔になった。 そりゃそうだ、生後3か月から今までずうっと一緒だった。 ケンカもしたけど、一番の友達、4歳でも別れはどんなものかわかるのだ。 アンナの大きな瞳から、涙がぽろぽろこぼれた。
その時、私は複雑な気持ちになった。 泣いているアンナを見て「泣かないで」と言いそうになった。 悲しいから泣く、そんな彼女の自然な行為を制しそうになった。 普段から「悲しい時はいっぱい泣きなさい」と言っているクセに。 「離れても会えるよ」「お電話でも話せるよ」と、 矢継ぎ早に機嫌をとるようなことを言い、彼女の悲しみをごまかそうとした。
本当は、大好きな友達との別れに直面し、 悲しみをいっぱい感じたアンナを思い切り泣かせてあげたかった。 だっこして、涙枯れるまで背中をとんとんしてあげたかった。 でも、それができなかったのだ。 私の子育てのポリシーである「最初の感情をとことん感じさせる」、 それがどっか遠くにすっ飛んで、体のいい親のエゴの押し付けになった。 励ますことなど、後でいいのに。
なぜか?
それは、アンナに泣かれると困るからだ。 泣いているアンナを見ると純粋に辛いからだ。 小さな指で涙をすくいながら、体を震わせる自分の子供を見るのが辛いからだ。 私自身の中にもある何かと連動し、その光景は私の胸まで痛くさせるからだ。 見たくないのだ、子供が泣いているところなんて。 どうしていいかわからなくなる。 悲し過ぎるのだ。
そして思った。 大人はみんな子供の涙を見たくないんじゃないかな、って。 それは、辛いから、いたたまれないから。 それをどうにもできない自分がふがいなくて、 もし、子供を泣かせたのが自分なら、こんなにも苦しめてしまったのだと感じて。 どうしていいのかわからなくなって。 子供への「うるさい!泣くな!」という親の叫びは、 「あなたを救えない私を許してちょうだい」という親の叫びでもあるのかもしれない。
だからこそ、私は、いっぱいアンナを泣かせてあげようと思った。 逃げないで。 私自身をも救うために。
涙枯れるまで泣いて、悲しみを感じ切って、子供が笑顔を取り戻した時、 それを見届けられた親は、きっと、大きな満足感を得るだろう。 人生の大きなワークをこなしたからだ。 「すべてを受け入れる」という大切なワークを。
感情は感じ切るのだ。 感じ切った時それは消えるのだ。 それを一番よく知っているのは子供。 そして、その真実を実践しようとする子供を制するのは、 感情を感じ切らずに大人になってしまった親なのだ。 そんな親が、また感情を感じ切らない子供を世に送りだす。 ちょっとずつでもいい、今からだってできる。
子供の涙は、たくさんのことを教えてくれる。
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