おひさまの日記
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期待とは恐ろしいものだ。 それがあるゆえに裏切られると落胆する。 やっかいなのは、期待を裏切られると恨みがましくなってしまうことだ。 そもそも期待とは自分がするもので、相手や出来事はそんなことおかまいなし。 だから、平気で裏切る。 裏切るというと語弊があるな。 こちらからみて「ひどい!」と思うから裏切るという表現をしてしまうだけで、 実は、ひどくもなんともなかったりする。 場合によるけどね。
例えば、誰かに何か話す時「きっとこう言ってくれるだろう」と期待していると、 それと違った反応が帰ってきた時、 「ひどい」とか「わかってくれない」という受け取り方をしがちなのが人間。 勿論、私もだ。 でも、実は、自分が作り上げた型に相手がハマらなかっただけで、 相手はこちらに対し、何も意図はなかったりする。
以前、こんなことがあった。 あるお気に入りのアーティストのアルバムを買い続けていた。 ニューアルバムが出たので、早速買って聴いたらがっかりした。 なんだか今までと全然違っていて好きじゃない、って思った。 変わっちゃったな、次からは買うのやめようかな、失望したな、などと色々考えた。
今思えば、それは私の「期待」だった。 今までのそのアーティストが好きで、そのスタイルを望んでいたのだ。 ところが、ニューアルバムで彼は自分のスタイルを変え、新境地に挑戦した。 スゴイじゃないか。 自分を変えるのは勇気がいる。 受け入れてもらえるかなんてわかりゃしない。 でも、自分に正直に自分を変えていく。 これほどスゴイことはない。 ただ単に、私は彼に自分の期待したものを望んでいただけで、 それと違ったものが出てきたから「裏切られた」気持ちになっていただけだった。 彼は、過去のファンを失ったかもしれないけれど、 新しいファンを得たかもしれない。 ただそれだけのことだった。
私達の日常の中にも、こんなことうようよあるはずだ。 それに一喜一憂し、日々を憂鬱なものにしてしまうことだってあるはずだ。 そんな時、この「期待と裏切り」の関係性を知っていると、 その怒りや悲しみや落胆、失望から早く抜け出せる。 それらがあくまで自分の「反応」だと知る時、 人は自分に責任が持てるようになるからだ。
中立の出来事に意味を与えるのは、常に私達自身。 それを忘れてしまうと、事実がねじまがってしまう、真実を見失ってしまう。 感情が溢れてくる時に、冷静にそんなこと考えられないけれど、 少ししたらそれを思い出せるような人間でありたいって、なんか今日思った。
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