2004年02月22日(日) |
アドルフの画集と聖闘士星矢 |
映画2本。
アドルフの画集
すっごいよかったよ!いやーもう、心の痛みにじわーっと来るというか。 アドルフ・ヒトラーが「政治というパフォーマンス・アート」に走るまで、という内容。
画商ロスマン(架空の人物)の目を通して、ロスマンとヒトラーの友情と反発を軸に物語は進む、というわけですが。 やっぱり、『対照的な人物』との心のふれあいを描くのが人物像を浮き彫りにする方法の基本ですな。非常にヒトラーの人物像(あくまでこの映画の中での、ですが)が伝わってきました。
ヒトラーは表現して、人々に認められたいと思っていて。自分が発した言葉によってどんな影響が生じるか、に対して無頓着だった。
なにせ、ユダヤ人のロスマンに反ユダヤ主義の演説を聴かせ、『どうだった、感想は?』と聞くのです。嫌みでもなんでもなく。絵の感想を求めるのと同じように。
人間も良いですけど、時代の雰囲気という物もよく描かれていました。未来派(美術運動の一つ)の時代だったんですね。 で、鬱屈した若者だったヒトラーが鬱屈した時代に飲み込まれていったという話。
作品がヒットするというのは、結局は『時代が求めていた』ということなのでしょうね。
それにしても、「『負け犬は反ユダヤに走る』とニーチェが言っていた」という台詞、私たちも覚えておきたいところです。
聖闘士星矢・天界編 これはひどかったです・・・
絵はきっちりと作ってあるのですが。でも、今時の映画で「崩れる岩が最初からセル」というのをやってくれるとは・・・今は、テレビでもBook差し替えが普通だぞ。
バトルシーンはてきとーに2・3発打っておくだけで、あとは「神と人がどーした」とかどーでもいい事を延々としゃべってるだけ。 敵がどんな技を出すやつなのかもわからずじまい。星矢達はほとんど勝たないし、雑魚キャラにちょっと勝ったらしいけど、どうやって勝ったのかもわからない。
で、あとは弱弱な星矢と沙織のラブロマンスらしき物。(もちろん星矢ですから、ちゃんとしたラブロマンスにはなってませんが)
どうやら魔鈴の弟探しのドラマがあったらしいけど、唐突すぎてなんの感慨もなし。 星矢以外の聖闘士はろくに活躍なし。(星矢に活躍があったかどうかも大いに疑問だ)
これのどこをおもしろがれというのか?
どうやら描きたかったのは星矢と沙織のラブロマンスだと思うのだけど、このラブロマンスってそもそも「ヒーローはお姫様を手に入れなければならない」という、古くさいと言うよりあほくさい考えから来てる物だと思うし(テレビ放送してた当時から、そう思ってました)。
あと、もしかしたら「人は神の奴隷ではない」と、マジで訴えたかったとか?・・・いや、誰もそんな事思ってないし。信心深い人でも、よもやギリシャ神話の神には支配されてないと思うぞ。
とりあえず、「来てくれたんだね、兄さん!」のためだけに1800円出してもいいという剛毅な方はどうぞ。私は例によってチケット屋で前売り買って見たから1300円でしたけど。(それでも高い)
基本的に映画は映画館で見るのが一番と思っているのですが(うちはホームシアターなんて作れないし)、今回はビデオの方がよいと思いました。
だって、映画館で早送りはできないじゃん!
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