私は、私のことを知ってもらいたくて、私のことを愛してもらいたくて、ずっと、「もっともっと」って欲してきた。
「彼氏」が欲しいのも、私のことを一番に想って、私のことを理解して、私がありのままの自分でいられることを認めてくれる人が欲しいから。
自分に自信が持てないから、人から自信を与えてもらいたいのだ。 人を使って、自分に自信をもたせたいのだ。 たとえば「彼氏」「音楽」「ミュージシャン」「作家」であったり、または(自分を大きく見せて、人から感心したり尊敬してもらうための)「知識」や「経験」であったり・・・
カウンセリングがいいなと思うのは、「ありのままの自分」が肯定されるから。 「ありのままの自分」でいいんだという安心感と、「自分が理想としている自分」になれるという自信と希望が与えられるから。 ただ話を聴いてもらうだけなのに。
ただ話を聴いてもらうだけだけど、ひとりで悶々としているのとではやっぱり全然違う。 そこには「人」がいるから。
悪く言えば「手段」として使ってるだけかもしれないけど、それを他者に求め、そして失敗するよりもずっと建設的でいいことだと思う。 というか、それが彼らの仕事だし。
花が枯れかけてたら、誰かが水をやらなきゃ。 (それと太陽の光もね)
あ、それで、何が見えてきたのかというと、この渇きがおさまったら、きっと私も人に対して「自分」が出せるようになるんだろうなということ。
「私」をこの世に存在させることができるようになるんだろうなということ。
人から与えられることばかりを望むんじゃなくて。 人に、「私」を与えることができるようになるんだろうなと。
思いやりであったり、心遣いであったり、ユーモアであったり、とにかく、人にとって大切なことを。
もちろんそれは、今の私にもできることなんだけど。
もうちょっとまっててね。
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