七転八倒 〜彩音の日常&育児日記〜
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朝、パトカーの走り去る音、空にはヘリが飛んでいる。それだけで毎度なんだか事件か事故か火事かと、 そういう予感がするようになってしまったこの頃。
予感的中。中央線停まった。(-_-;)ちょうどバス待ちをしていたのに。1時間は動かないのが日常だから、 行く前にアトリエ部屋に寄って用事を済ませ、ちょうど電車が動き出す頃に駅に着いた。
まさかのホームへの入場制限。それよりも、どうにか事故が起こらないように制止できないもんだろうか?
以下、猛毒。ご注意ください。
ホームドア設置するのがいちばんだろうが、それを乗り越える奴もいるかもしれないし。 まぁ、さすがにドアがあれば、思いとどまる人もいるだろうけどね。 飛び込もうとか予測できるセンサーがあればいいのにな。
生きることを諦めたのならしかたない。でも今時どんな死に方をしても、よそさまには迷惑がかかるんだよ。
生きることがつらいのだから、死にゆくこともつらいんだということを、身をもって知ってほしい。 簡単に死ねると思うな。空をダイブするのが怖い。誰もいない森の中で飢餓や寒さと闘うのが怖い。 水の中に身をゆだねるのが怖い。息が詰まるのがしんどい。だったら手っ取り早く瞬時に、って考えるのか。
迷惑だよ。特に混雑時の駅で起こすのはもってのほか。それほど誰かに見守られながら逝きたいのか?
あたしだったら嫌だね。かわいそうにって思われたいのか?悪いけど、通勤客は誰もかわいそうにとは 思わないよ。ただ迷惑って思うだけ。
それとも混雑時に起こすのは、迷惑かけることでの人や社会への復讐か? それともそこまで考えられなくなった人の末路か。
残酷で乱暴な言い方だけど、すっぱり逝くのではなくて、この世に残ってさらに苦しみながら生きてほしい。 それだけ生きることはつらいのだ。自ら負を背負って生きるのでは、さらに自分を苦しめるだけだろう?
それをわかってほしい。自ら命を絶つことは勇気でもなんでもないのだ。
今までも何度も言ってきたけど、私は自分が大事だから自ら命は絶たない。あたしがもったいない。
人の生死にかかわる場面に遭遇してきた人なら、そう思う人が多いだろう。
生きるものには必ず寿命がある。だったらそれをまっとうして生きるのが、生きるものとしての最低のマナーではないか。
行きたくても生きられないものへの冒涜に過ぎない。
あたしはどんな理由があろうと、自ら命を絶つことは絶対に許さない。
心療内科のカウンセリングでも、今日もそう言った。
あとはアトリエ部屋を借りた話と、ディズニーシーに行った話で終わり。 おかげさまで今朝の人身事故で遅れて、貴重なカウンセリングの時間削られてしまったので。
世の中には予約の時間がある。待ってはくれない。電車遅延で商談とかにも影響した人もいるだろう。
ただでさえ迷惑かけられるのもかけるのも嫌なタチなので、本当に迷惑。
やっと人への拒絶が、部屋を借りることによって、ごくふつうの日常生活ができるようになってきたというのに。
人のこころの根源はいまだにわからない。根の部分の人間不信は一生治らないかもしれない。
追記。
昔、母が言っていた。自分が家を空けて、もしも父と祖母が二人きりになった時、父と祖母に刃傷沙汰が起きないように、 包丁を必ず隠してから出かけた、と。
それは父を殺人者にしないためだけでなく、私を殺人者の娘にしないためでもあった。 殺人者の家族も、負を背負って生きねばならないから。
そんな日常を持っていた私なのだ。生きることの大切さは知ってるつもりだ。
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