七転八倒 〜彩音の日常&育児日記〜
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2008年03月24日(月) いつまで逃げるつもりなんだろう。(毒&暗&真っ黒です。ご注意ください)

書き物をしたくて、リビングのテーブルに便箋を広げていた。
テレビではお花屋さんのドラマが始まってしまった。
最初のお花屋さんのセリフに私は、「知らないよりは知ってた方がいい。言わない方がずっとずっとずるい」と
つぶやいた。
それ以上、そこで作業をできなくなった。
「いつまでこうやって逃げるんだろう」って泣きながら逃げた。こもり部屋に。

確かに本当のことを知らない方が、よけいな傷を受けずに生きられるかもしれない。
でも知らないより知ってる方が、むやみやたらな想像をせずに済むから、病む量が少なくて済むかもしれない。

実父は私たちから逃げた。それは確かだ。でもなぜ逃げたのかは、今の私は知らない。
実家の母はもしかしたら真実を知っているのかもしれないけど、実父が「弱かったからだろう」としか言わなかった。
双子の私たちは、それほど実父にとって負担だったのか、苦痛だったのか。

実母は兄はどこにいるんだろう?妹はなぜ病んでしまったんだろう?今ももしかして私と同じように
泣いているのだろうか?

私の両親は実家の父と母だ。その二人以外両親は知らない。それでいい。でもこのこころに刻まれた傷が消えない。
癒えることなく、もう16年が経とうとしている。癒えるどころか年月が経つほど苦しく、傷が深くなっている。
慣れる、ということがない。苦しい。傷を受けたばかりの頃、私には実家という家族しかなかった。
今、私は新しい家族とともにいる。そのことがよけい私を苦しめることがある。
母なのに、子供の前なのに、こんなに弱くて、実の親のように逃げ去ったりはしてないけど、
こうやって逃げている。実の両親とさして違いはないじゃないかと思ったりする。

親になった今、実の両親の気持ちがわからないわけではない。でも、やっぱり同じことは絶対にしたくない。
子供にとってどんな親でも親だから。逃げてほしくなかった。捨ててという言葉は御幣があるけど、
自分たちでどうにか育ててほしかった。それは子供としての私の単なる願いだけどね。

だから私は本当は逃げたくない。涙が止まったからリビングに戻る。また涙があふれたとしても戻る。

私は息子を産んで初めて血のつながりを知った。
たぶん世間の人は、血のつながりなんて関係ない、親子は親子だ、って思うだろう。
でもそれは、血のつながりを知ってる人だから言える言葉だ。私から見ればのことだけど。
血のつながりを知らず、自分が誰に似ているのかもわからず、どこから来たのかも知らず、
自分のルーツや存在価値がどうしてもわからないと、ものすごく不安になる。

だからと言って死ぬことはしないけどね。そんなに弱くないから。どんなにパニック障害になろうと、
電車に飛び込むことはしない。たとえ誰かに憑かれたとしたって、私は憑いた奴を跳ね除けて、飛び込まない。
そんなことで電車を止めて誰かに迷惑をかけるなんて、そういう形で逃げるなんて、プライドが許さない。
いつも電車のホームにいる時、念じる。誰にも憑くな、誰も飛び込むな、って。
急いでる時だけじゃなく、いつも念じる。憑かれて飛び込むなんてことも、実のところはあるのかどうかなんて
わかんないけど。某オーラの方が本で言ってたような気がするから。
ただ、そういう人がたくさん漂ってる場所や、引っ張られる、引きずり込まれるってことはありうるとは思うけど。

文章にして気持ちを吐いて落ち着いた。リビングに戻って作業することにする。

野島さん、ある頃からどうしてこういう脚本を書くようになったんだろう。
あのノーテンキなくらいなハッピーエンド、好きだったのに。
でもそれも、私が鬱になった頃はもう、今のようなタイプの脚本になってたんだけどね。
人は変わっていくのね、なんてララァみたいなこと、またつぶやいてみたりして。


追記。

桜が咲き始めました。↓これはゆうべ撮ったもの。今日はもっと咲いてました。ピンボケ写真ですが。



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