七転八倒 〜彩音の日常&育児日記〜
DiaryINDEX|past|will
2008年02月28日(木) |
号泣(内容暗いです重いです長いです) |
心療内科の帰りに、精神状態は下降し始めていた。
昨日ここに書いた例の行事、出た方がいいのか先生に相談したのだが、全部出ずに半分だけ出てみるとか?と いう答えだった。でも私は・・・私自身の気持ちは「出なくていいですよ」という答えを望んでいたらしい。 「出なくていいです」と答えてもらうことで、ラクになりたかったのだ。 カウンセリングの先生にたずねるのを忘れてしまうくらい、私は自分のことを話し出すと没頭してしまうので、 カウンセリングの後、急遽診察の先生にみてもらったのだ。
実際に先生に「子供がそう言ったので出てもらいたいんじゃないか」ということを伝えたけれども、 私自身はとても出られる状態じゃないということが、なんだかわかってしまったことがもう一つ。 (すみません、この理由というのはもうちょっと後に出てきます)
今日も人身事故で中央線が一時止まった。しかも私はそれに遭遇しそうになった。 心療内科から帰る時、線路の横あたりで鳴り続ける警報ベルのような音。駅のホームに止まったままの電車。 走ってくる消防自動車。何言ってるかわからないけど駅のアナウンス。
病みながら苦しみながら生きてる人をなめてる。なめてるつもりはないのだろうけど、簡単に死のうとする。 走ってきて止まらない電車に飛び込めばラクに逝ける、とでも思うのだろうか? 人身事故の真相は私は知らない。だから偉そうなことも言えないが、苦しんでても生きてる人はたくさんいるのだ。冒涜すんな。 そんなことが日常茶飯に起こる昨今がかなしい。地球温暖化は地球の温度変化の一部にすぎないかもしれないが、 自己中な人間がたくさんいる世の中だから、温暖化になるのかもしれない。 それよりなにより、核を保持してるとか、電気で充電できるエコな車とか宣伝してるけど、電気だって原子力がほとんどだろう、 そっちの方はエコと切り離されて考えられているのか?温暖化どころか核なら星がぶっとぶくらいあるんだろう。 それがいちばんエコじゃないことだと私は思う。
自ら事故で逝くくらいなら、どうかどうか深い海の底に飛び込んでほしい。そのくらいの覚悟で望んでほしい。 生きることの方がつらいんだから。病気で生きられない人だっているんだから。そのすべてへの冒涜だ。
そんな重い足取りのまま、日々の買い物だけで帰宅した。本当はカウンセリングだけの予定だったから、 ちょっと二つ先の駅まで行ってブラブラしてみたかったんだけど、電車が止まったことで、「あ、行くなって言われてる」と 悟った、勝手に。
(はい、この先がもう一つの理由です) 息子がヘルパーさんのとこから帰る時間に、ヘルパーさんから電話があった。支払いと確認印をもらいに行く、と。 今日帰りにヘルパーさんのところに私が寄ればよかったのだけど、とてもそれだけの気力体力が残っていなかったから、 来てくださってありがたいと思っていた、ドアを開けるまで。 エントランスのインターフォンに、息子とヘルパーさんともう一人子供の姿が映った。誰??たまたま鍵が開くのを待ってた このマンションの子かと思った。 ドアを開けたら・・・ヘルパーさんはもう一人子供を連れていた。うちの特学の子。しかもさっさと靴をぬいで勝手に上がりこんだ。 「あー、そっちはものすごく散らかってるの、ごめんねー」私は必死で言った。いくら特学の子供でも、 親にちゃっかり報告なんてしないかもしれないとしても、あんな散らかった部屋、誰にも見られたくない。 「行かないの、今日はお呼ばれしてないの、遊ばないのよ」とヘルパーさん。でも実際に上がってしまってる。 そのままその子を連れてヘルパーさんは帰った。私はこもって横になってしまった。おともだちに電話してしまった。
きつい。こんな精神状態の時に、しかもその子連れてくるなんて一言も言ってなかったのに。 でもこれではっきりわかった。とても学校行事に行けるような状態じゃない。私は子供の頃から子供が嫌いだ。 それをしっかりと思い出した。そしてあのクラスの子供たちとの会話ができるほど余裕なんてない今の自分を。
晴一の小説が載ってるパピルスを今日買った。続きが載ってる。でも私は鬼束ちひろのページに釘づけになった。 読み進めて、ものすごく共感できるところがいっぱいあって、うんうんってうなずきながら泣いた。 どこか生きづらい人々。痛い思いをしながら生きている人。繊細な気持ちが理解できる人。どうもそういう人にしか惹かれない。 そして鬼束さんも銀色さんが好きだったということがわかった。二人の対談まではまだ読めてないけど。 お二人とも故郷が宮崎だ。そういえばあいこの本籍地も宮崎だったような。
あぁ、なんか1本でつながってるんだな、って思った。私も音楽が好きでたまらない、音楽に癒されて生きてる、 自分も音楽をやりたいしうたいたいし聴きたい、だから3月に集中してしまってるけど、もしも全部当たったとしたら どうか行かせてほしい、そう旦那に言いながら号泣した。
人は私が外に出ていれば元気だと判断する。元気じゃなくても用があったら歩いてる。 でも人には私の大切にしていることはわからない。それが音楽だったらなおさら、ライヴだったらなおさら。 学校行事に出られないくせに、ライヴには行けるんだ、きっとそう思われる。 でもそう思われてもいいから、私の苦しみを少しでもラクにしてくれる場所にいたい。穏やかで明るい気持ちになれる場所にいたい。
わからない人が多いから、少しでもわかってくれる人がいてくれないと苦しいんだよ。 そう旦那にも言いながら号泣した。3月に集中してしまってるけど、当たったら全部行くから、わかっててもらわないと困るから。 そう言って号泣し続けた。
時々壁や梁(天井?)がピシピシ鳴る。これは(霊的な)ラップ音か?ただの乾燥だろう。でもたとえラップ音でも怖くはない。 お父さん聞いてる?どうして?どうして私たちが産まれたらいなくなっちゃったの?って。 お父さん連れてきてよ、お母さんとお兄ちゃんと妹。 あの同じ日のポルノさんのライヴにいた、私の横顔に似た人が妹なら、今度のスペシャルライヴ当てて、隣同士にしてよ? 何年経っても傷が治らないばかりか、どんどん深くなっていく。苦しみは増してる。助けて。
息子にはわかってもらうしかない。ごめんね、行ってあげられなくて。一応息子にはちゃんと話したけど。 具合悪いから行かれないの、ごめんね、って。
でも卒業するあの子には、心をこめてカード書いたつもりだよ。私にはそれくらいしかできないから。 でも、こういうことをやってる私は、やっぱり私らしいし穏やかだ。私が好きな分野だから。
絵を描くこと、文字を書くこと、文章を綴ること、カードに色をつけること、デザインすること、 そして音楽。私の好きなことはすべて、子供の時に習ってたものに通じてる。 いや、少し優れてる部分があるからと親が習わせたものばかりだ。ピアノもお絵かき教室も習字も。 得意なこと習わせて伸ばそうとしてくれた両親に感謝してる。 でも全部中一でやめてしまった私。学校が遠くなって、ちょっときつくていっぺんにやめてしまったのだ。 ピアノだけでも独学でもいいから続けてればよかった。今からでも遅くはないとは思う。もう一度弾いてみたい。 私には音楽が必要だ。
おともだち、電話でいろいろ話をきいてくれてありがとう。m(_ _)m 私もまず自分を落ち着けるところから始めたい、今は。息子にはかわいそうな思いさせるかもしれないけど。 楽しく笑ってる私を見てる時の息子は、ちゃんと学習してるから。 おかーさん、これすきなの?これやなの?って必ずきいてくるから。
鈍感なくらいな方が生きやすい。でも私は感受性が強い私のままでいい。
|