七転八倒 〜彩音の日常&育児日記〜
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2006年08月26日(土) 毎年思ってることだけど(辛口なので読みたくない方はこの先を読まないでください)

毎年この時期にやるあの番組が好きじゃない。
それは息子が産まれてからではなくて、それ以前からどうも好きになれなかった。
やらないよりはやった方がいい、思えた方がいい。でもそれは、その時だけで終わるもんじゃない。
日々の積み重ねこそ大切にしてほしい、考えてほしい。
もちろん募金はしてるよ。でもそれは、あの番組のだけじゃないから。偉そうに言うつもりなんかないけど、
私はどこでもやるから。それが誰かの救いになるなら。
人を助ける場面は日常のどこにだってある。
別に席を譲るのはシルバーシートだけじゃなくていいんだよ。私だって具合が悪くてドアのとこに座り込んでいても、
席を譲ってくれる人なんかいなかったこともある。
ベビーカーを持って赤ちゃんを抱っこして階段を上ってるママ。
バスのステップから、荷物を重そうに持って降りてるおばあちゃん。
それを助けようと思う気持ちがなくていいのか。どんな理由があろうと、私は自分の立場に置き換えて
苦しいと思ったら、できるだけ助けたいと思ってるよ。偉そうに聞こえるだろうけどね。
あの番組だけでなんかいいことしたとか感動したとか思わないでほしい。
感動は意図的に生まれるもんじゃない。作ってないから感動するんだ。もちろんドラマとか映画とかは別だけど。
感動させようさせようとする意図的な気持ちが好きじゃない。たとえ自分の好きな人が出ててもほとんど見なかった。
頑張ってねって気持ちだけ持ってた。

それと、しょうがいはひとつだけじゃない。いつも思う。しょうがいは目に見えるもんだけじゃないんだよ。
私だってしょうがいの枠で心療内科にかかっている。ボーダーの息子は見た目じゃわからない。
わからないものには、言葉は大きな武器になる。そんなの日常茶飯だよ。

人の文章が読めないのは、私がネットをやり始めた当初からだった。読んでしまって傷ついたことはたくさんあった。
おともだちのおなかにいる赤ちゃんに、しょうがいだけはなく生まれてきてくれることを願っているという人の
文章を読んだ時、ものすごい苛立ちを覚えた。確かにしょうがいのある人生はしょうがいのない人生とは別の苦労がある。
でも、しょうがいさえなければという言い方は、しょうがいを持って生きてる人の存在さえ否定しているように聞こえるんだよ。
私は被害妄想も大きいからね、そこまで思わない人はたくさんいるだろうけどね。

あの番組を長年制作してる人には、なおさら理解してもらいたい。って、ここで書いてる場合じゃないか。
毎年あそこに書き込むべきだよね。


追記。

頑張ること頑張ってることの意味だけは伝わる番組だと思う。こんなの書くまでもないけど。


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