七転八倒 〜彩音の日常&育児日記〜
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2006年05月15日(月) 祖母の告別式

ゆうべ、実はなかなか眠れなかった。

死は、その人の生きていた時のことを鮮明に思い出させる。
どんなにきつい性格で嫌がられていたことが山ほどあった祖母でさえ・・・。
寝ようと思った頃に、涙が出て止まらなくなった。

実家でのいろんなできごとを思い出し、初めて自分が生きてきた長さを感じた。
あっという間ではなかった。祖母が97歳で死ぬまで、さまざまなことがあったから。
温厚な性格でかわいがってくれた、というわけではないけれど、私のことも息子のことも、
祖母なりにかわいがろうとしてくれてたんだと思う。

息子が実家で過ごしたのは2歳までだから、息子自身にその頃の記憶はないが、その後実家に遊びに
行っていたし、祖母が救急車で運ばれて入院した日、つまりその後一度も実家に戻ることはなかったのだけど、
その救急車で運ばれた日、私と息子は実家に行っていた。まだ息子が保育園で、私の用事で
実家にあずけて出かけようとしていた日だった。
結局夕方まで、出かけるか出かけないか迷ったのだけれど、とりあえず入院のしたくができて、
家族も戻ってきたので、私は息子をあずけて出かけた。

昨日の祖母は、その日入院した祖母と顔立ちも変わっていた。祖母へのメッセージカードに、
なんて書いてよいのかわからず、「安らかに眠ってください」としかかけなかったけれど、
現世で強烈な性格の人だったから、せめてあの世では安らかに・・・と思った。

自分でもそんなに泣くとは思っていなかったから、意外だった。
かれこれ1時間以上泣き、ふとんに入ってもなかなか眠れず、結局3時間ほど寝たところでもう起きた。
朝、どうしようもないほど目がはれていて、まぶたが重かった。目頭はかろうじて二重まぶただったが、
目尻の方なんか一重になっていた。(-_-;)
結局いつもの目に戻ったと気づいたのは、夜になってから。さっき鏡を見た時だった・・・。

告別式では、ゆうべ泣いた分涙は出なかった。というより、目が痛くてこれ以上泣けない状態だった、
というのが正しい。(-_-)
焼香の後、棺おけを花で埋めて出棺。その時にさすがにうるっとは来たけど。
火葬場へ移動して、最後は骨を拾った。
ここでこういう文体になるのもおかしいが、まぁ97歳とは思えないほどの骨密度!!
からだが丈夫だったわけだよ、骨太だもん。97まで生きられるわけだよ。火葬場の方も
見事な骨だと感心していた。
骨壷に入りきらないのでは?!というほどの骨の量。ひざを痛めて骨壷を持てない父と腰が弱い母に代わり、
私が骨壷を持った。
そしていったん葬儀場に戻り、それから親類の方々に挨拶をし、それぞれ解散となった。
当然私は骨壷を持たなければならなかったので、息子も旦那もそのまま実家へ。
しばらく休んで帰ってきたのだけど。

とにかく疲れた。でも自分なりに頑張れたと思う。今日は特に。
怖がりの旦那は、祖母の周りに花を置くこともしなかったし、骨を拾うこともしなかった。

帰りの電車での旦那の一言二言が、後になってからカチンと来た。

「よくあんな心にもないことを言えるな」←喪主である父の挨拶に対する言葉(-_-メ)
そりゃー、いくら故人に対して憎しみを含めた感情があるとはいえ、人前でそんなの正直に言えるわけないじゃん!(-_-メ)
それに、いくら生前犬猿の仲だった父と祖母だったって、故人ともなれば少しは薄れるものでしょ?
以前、私が旦那のお義母さんと電話で話していた時も言った、「よく心にもないことを言えるな?」って。
あんたには社交辞令ってもんがないのか?!(-_-;)

「みんなで寄り集まって、骨を興味半分みたいに見れるよな」
そんなの、あんたが怖がりなだけじゃん。(-_-メ)

親類の中で、たぶん浮いた存在で見られていたことは間違いない。(-_-;)
だって、どんなに嫌だろうが怖かろうがやるのがフツーだろ?!(-_-メ)
やっぱり常識は通用しないヤツだ。(-_-;)○○ちゃんの旦那は変わり者だって思われてるだろうな。
いいです、その通り変わり者なので。(-_-;)

こういう時、旦那の変わり者&ダメダメ加減がはっきりするので、私はその分強くなる。

旦那とほぼ同い年のいとこにも会えた。子供の頃からよく遊んでくれたお兄ちゃんで、
私は大好きだった。お兄ちゃんっ子だったので。
職業柄というのもあるのだろうけど、そういう場でもきちんとコメントできる。
そうだよねぇ、その年齢だったらそうなるはずだよねぇ?旦那はロクに人と会話もできないんだもんねぇ?(-_-;)

「また今度話聞いてやるよ」と言ってもらえると、なんだかほっとする。それがたとえ結果的に社交辞令となろうとも。

いとこのお姉ちゃんが息子に、「ママはいつもかわいい年賀状くれるのよ、絵がとっても上手なの」と
言ってくれた。
お姉ちゃんのお母さん(おばさん)も、「いつも年賀状楽しみにしてるの」と言ってくれた。
自分が好きで描いているものを、そう言ってもらえると本当にうれしい。
今の私にはそのくらいしか、せめてもの自分の持っている力を出せないから。
そういえば、年賀状のことも旦那言ってたな、「そんなの(絵を一生懸命描いたって)誰も見てやしねーよ」。
わかります?旦那といると、どんなに自分がヒクツになっていくか・・・。
まぁ、人生捨てた気で結婚したってのは、そういうことになるだろうってわかってた上で、ってイミでもあって、
しかたないよね、自分で選んだんだから。でも後悔しっぱなし。息子に逢えたことは後悔してないけどね。

子供の頃から、お正月といえば親戚が実家(本家だから)に集まって新年会をしていた。
人が集まると用意も後片付けもたいへんだし、その後飲んだくれた父がクダをまくので、私は嫌だったけれど、
そんな集まりがあったからこそ、言ってもらえる言葉かもしれない。
カメラで写真を撮りまくってたおじさんも、寝たきりになってしまい来れなかった。
おしゃべりなおじさんも、手術を繰り返し外に出られない状態。
車椅子で来てくれたおじさんもいた。
父がひざが痛くてあまり歩けない状態は、まだいい方なのかもしれない。

親戚一同がみなどんどん高齢化。お兄ちゃんが言ってたけれど、「オレたちが頑張らないとな」。
私も「うん、具合悪くても頑張らないとね」と答えた。
父や母に頼る時は過ぎた。これからは私たちが親をみていかなきゃ。

これからライヴに行くことも、だんだん少なくなっていくのかもしれない。
でも私はできる限り、自分の好きなことも大切にしていきたい。できる限りでね。だからマイペースでないと
続けられないの。群れることは縛られるから嫌。時々メールし合えれば、それだけでお互いかまわない友達しか、
最後は残らない。

あ!!晴一のラジオ!!日記書いてたらまた聴くの忘れたよ・・・。(^_^;)


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