2002年09月29日(日) |
生まれ変わったらあんこうになりたい。 |
あんこうっていますなあ いやまんこでなくて このあんこう 肝から肉まで実に珍味で 捨てるところがないそうで 実にこれ 魚類の分際でありながら なかなか有能なんだけれども 多くの女性は 若ければ若いほどちやほやされて 例えば同程度の容姿であれば 若い方に傾くのは これ自然であり 女性の商品価値は 年老いて行くほどに落ちぶれ それ故に若いうちに 化粧やおしゃれに金を使い 外見を整える事で 将来楽をさせてくれる男性をゲットしなければ 女として終焉を迎えてしまう なんて女性どころか 男までそういう概念が蔓延しているのだけれど それはやはり 体面しか気にしない 頭の悪い頭の悪い男が言う事で 自分のおまんまんさんに自信が持てない女性は 一度ビデオ屋に行ってみると良い 行ってみるが良い 最早アダルトビデオは多岐に渡り 10代から50代の女性が 全てをさらけ出し また若くても老けていても 太った女性までもが これまたご丁寧にご開帳してくれているわけで また内容においても 多世代の 多体型の 女性たちがノーマルからアブノーマルまで まあ確かに いったい誰が見るねん もっと普通にでけへんか 的なグロテスクでおぞましいビデオもあるのだけれど つまり 日本は資本主義において 営利第一主義で有る訳で 一見 マニアな作り手側の一方的趣味的な グロテスクAVであっても 実は 女優のギャラやその他制作費をも 大きく上回る売上げ利益 つまりは需要があるわけで またそういった アナーキーなAVこそが 正統派美女ものAVと比べても そのシェアは実に見劣りしないもので つまりは 女性は年老いて乳が垂れて 腰のくびれも消えてしまい 腹は出て ムダ毛の処理も必要無いわ なんて世代になっても 実はそうなればそうなるほど 女性の需要は地下的に増えていることを 我々は認識しなければいけない まんこも あんこう同様 捨てるところのない そう 有能なおまんまんさんなのである 世の中には 数多くのマニアという コミュニティが存在し 時にはその小さなコミュニティが 一大産業として いつしかメジャーと成り得る 閉鎖的な性事情のニッポン お互いがお互いの性趣味を披露しあい 明るく楽しい性交渉をする事が ひいては 将来の日本に幸福の種をまくことにもなり まんこが世界を救う いえあんこうでなくて 比べてみて このちんこ このちんこの早漏おかげで 女性は愛されてないのかしら 私の愛情が足りないのかしら 女性を悩ませつづけ 確かに ちんこの大きさと愛情の度合いは 仕事と私とどっちが大切なの くらいに天秤に掛けるまでもない 範疇が違うものでは有るけれど でもやはり 大きくて 反りがあって 気持ち良いところに当たって カリがあって 堅くって 太くって それでいて 長持ち パワフル だけど優しさも兼ね備えた そんなちんこに越した事はなく 挌闘家。プロレスラーのちんこというものは そりゃあもう 内股の女性がガニ股になるほど屈強で 芸能人とプロレスラーは ヤれるならヤっとけ という昔からの格言があるのも 人生一度くらいは ベッドで天国に行く経験をしなさいという 先人達の教えなのであり そういう観点からすると 日頃から挌闘家好きを公言し 実際にプロレスラーとの交際が 公になった小池栄子は ある意味 最強のおまんまんさんなのであり 私くらいの 小さな小さなちんこには あんな巨乳手におえるはずもなく 否もはや 小池栄子のクリトリスと 私のちんこはさして変りがないどころか むしろちんこの方がちっさいのではないか 女性のおまんまんさんは あんこうほどに 無駄がなく需要があるが 私のちんこは 小さいちんこは カリがないちんこは 早いちんこは 需要が無い事を 推して量るわけで ただ ただただ超自我 超自我の為に 私は今夜もちんこを握るのであり ちんこを握りながら 今日も叫ぶのだ 私はちんこは ちんこだ ちんこうなのだ ちんぽうなのだ いやまんこでなくて。 あんこうくらいに 大きくなりたい。 私の病気は 玉ねぎ畑 切っても切っても。
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