2002年09月06日(金) |
受け入れてやらんでもない。 |
人間欲深いもので 環境に慣れると その次は必ずダレが来る 与えられた立場を忘れ ついついその場にあぐらを掻いてしまう その結果 その立場を失ったときに ようやく事の重大さに気づき 自分の愚かさを嘆いたときには もはや後の祭 世の中には どんなに改心して どんなに努力しようと どんなに抗ってみようとも もう 2度とは 手に入らないものがあるのだと 知るもののだが もとより欲深い人間のこと そうはわかってていても 世の真理を受け入れる事を拒み その結果 精神的に病んでまでも 切望しては 絶望し 渇望しては また涙に明け暮れる それほどまでに 人間は欲深い 夢は 必ずしも叶うものではない 己の微力では どうにもならないことが 世の中・人生には 往々にしてあることを 受け入れてしまえば 楽なのだけれど 否。 受け入れる事が 諦めてしまうことも また 必要なのかもしれない けれど わかってます わかっているんです たとえ無駄死に 犬死にであったとしても 強大な絶 望感・焦燥感・虚無感 に襲われようと つい 抗ってしまう事を 抵抗して見る事を そんな愚かさを解っていても そんな愚かさを含めて 人間なのかもしれない 私であっても もはや三十路が近くなり そして思う 十代の肌に憧れる もちろん 二十代の肌や 少し型崩れし出した三十代の肌というものも 勿論私のちんこには 豪華過ぎるくらいの料理だし 十代には決してない円熟味が 美味いとも思うし 安心なんてのもするやもしれぬ けどね 一度くらい味わってみたいやないですか 例えば中華が好きで ラーメンや焼飯や餃子がほっとさせてくれても たまにはツバメの巣やハマグリなど 食べてみたいやないですか でもね 貧民にはハードルが高い高級中華でも 金を払えば いろんなモノを犠牲にして切り詰めれば どうにかなるわけで なんともなれば 大人になって自分のお金が増えれば なんてことはなくななるもので けれどとりわけ 十代の女性の肌というものは 往々にしてやはり その恋愛対象は同年代なわけで 世は不条理 歳を重ねれば重ねるほど 十代の女性との性交は ますます縁遠くなり 十代の男性はその特権にあぐらをかき 一回ヤッて捨てたり 無駄に十代の女性の肌を過ごしているわけで それどころか もうこの歳になると 十代の女性と性交することは 各自治体の青少年保護防止条例に抵触し つまりは犯罪 もしくは援助交際による性交 これまた法律に触れるわけで もはや十代の女性と性交するのは ただ毎日絶望 歳を経れば尚更十代の女性が欲しくなる 十代ならまだ良い 十代だけならまだ許せる けれどそれが セーラー服・スクール水着・ブルマになると これ始末が悪い なぜなら 風俗やAVにおいて 擬似セーラー服・スクール水着・ブルマプレイというものが存在し バイブで自慰行為をすると やっぱ本物のちんこを欲するように やはり本物への憧憬が強くなり されど先ほど述べた法律 擬似があるだけに その絶望感は尚更 やはり世は不条理 もうダメだ と打ちひしがれるのだが 実は 世はそんなに哀しく プログラムされちゃあいない 世間は宇多田某の入籍ンツースで騒いでいるが 老けてはいてもまだ十代 しかも相手は30代半ばという ひとつ間違えれば後ろに手が回る 犯罪行為を認識しながら 果敢にも十代の女性の肌に飛び込み そして勝利を勝ち得た あの映像作家とかいう輩は 男の理想であり あれが 希望 なのであるかもしれないと 40代のおばはんが セーラー服を着て 乱痴気乱交プレイするAVを見ながら これはこれで 気持ちが良いという 実はこのプレイが たいそうお気に入りであるという ダビングして保存版にしようか 思案中であるという 現実を 私は受け入れてみるのである ちんこを握りながら。
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