ええと日本の教育システムというのは 今でこそゆとり教育・個性重視 なんて掲げているものの その実態は今でもまだまだ昔から 没個性。 出る杭は叩き、出過ぎた杭は社会自体から排除する 全ては国家に支配されているのだけれど それゆえ他人と違う自分や 他人からどお思われているのだろうか と不安を抱き ココロの病気になっちゃう人も多いのだがね 私はもお 他人が私のことをどお思おうが 私にはどおでもよく 逆にひとつのプレイとして あえてわざと他人とは違うとこなんか 見せたりすることもしばしばしば それでもやはり 他人がどお思おうが勝手だが 無理から変に誤解されるのは これ気分がよろしくない。 とくに私は大槻ケンヂという人間の十数年来のファンであり 彼の歌。彼の詩。彼の小説。彼の作品の全てにおいて 感銘を受け 影響を受け 病気にも打ち勝ち 私の人生の節々には必ず彼の存在があり 彼のようになりたいと日々思い 彼を師・カリスマと崇め 彼のイズム・世界観に基づき行動・生活し つまりは私のルーツの大部分なのだけども まあこのさいはっきり言ってしまえば 肯定派がいくら肯定しても これ説得力がないわけで 彼の素晴らしさというものは いちいち教えるものではなく 気づくか気づかないかに過ぎないので ここでは書くことを避けますが つまりは大好きなの。 そりゃあもお好きにして欲しいくらい好きなの。 好きだから彼のライブに行きます。 そら問題ないやん。 だって好きだもの。 ただそのときにね。 私はぴあを利用する事が多いのだけれども ぴあでチケットを予約して 予約したチケットを引き取る際に 予約番号やら住所氏名その他必要事項を 記入しなきゃあいけなくて その必要事項に「公演者名」を書く欄があるわけです。 ここでさあ問題。 オーケンのバンド名はなんでしょう。 筋肉少女帯は2年前に脱退してます。 今は「特撮」(とくさつ)というバンドをやっているわけです。 かといって昔懐かしいヒーローモノの歌を歌っているわけでなく 世の不条理を描いた哀しい歌や それでも不条理と戦う勇気付けられる歌を 激しくパンクにロックに絶叫しているのだけど ぴあのカウンターというのはたいがい若いおねえちゃんなわけで そこで必要事項を記入した後 確認の為にぴあのおねえちゃんは声を出して復唱し 「○月○日特撮2枚ですね?」 なんて確認をするのだけれども おそらくグレイだのケミストリィだのあゆだのひとみだの 流行の歌しか聴かないであろう若いおねえちゃんが 「特撮」はおろかオーケンすらミュージシャンであることすら 知らない若者が増えている世の中 確実に しかも毎回 ぴあのお姉ちゃんは 「特撮」と復唱した後 冷たい眼で私をみるのである。 違う。 誤解です。 誤解なんです。 やめろ。そんな眼で私を見るな。 私はいわゆる「特撮・ヒーローモノオタク」じゃあないんです。 ウルトラマンとか仮面ライダーとか そんなものに私は興味はないのです。 これ明らかに これ確実に クスクス。この人、いい歳して特撮オタクなんだわ。くすくす。 気持ち悪いわ。クスクス。 きっとウルトラマンとかのイベントなのよ。くすくす。 ほらほら眼を見ちゃダメよ。オタクがうつるから。クスクス。 なんて思われているのである。 他人からどお思われようと気にはしないのだけれど これはちょっとヘコミます。 ココロの中では ちがうねん。ウルトラマンやないねん。オーケンやねん。 と叫んだところで ぴあのおねちゃんたちの眼は すでに冷え切っており それどころか 差別的なまるでうんこを見るような 冷たい眼で見下されるのだよ。 これは一種のMプレイなのだな。 なんて思う余裕がないほど そりゃあもお 一方的に。
ええと。 とてつもなく長くなりそうなので 続きは明日ということで。
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