2002年01月06日(日) |
時々わけわかんないことも言ってみたりする。 |
自分のサイトの批評の部でよくわかんない酷評をつけました(爆)。 ま、知り合いだからできるのだけれど。 さすがに自分のサイトとはいえ、 顔見知りでもない人にあそこまでグチャグチャな評はつけられない。
言いたいことの半分も伝わらないかもしれない。 ヘンなイチャモンつけられたと感じるかもしれない。 ま、あれで反感を買われてもしょうがないでしょう。 ちゃんとした文章になってないのだし。 微妙なニュアンスやわずかな差異を説明する時に 言葉はものすごく不向きな道具となります。
「詩情があればそれは詩なのか」という、数年来抱えている命題に もう少しで結論の糸口を掴めそうな、そんな気配が出てきている。 その気配から沸き立つ、苛立ちにも似た感情があの評を書かせている。 たとえば自分のサイトの即興コーナーで俺が書いてるようなものは、 俺の中ではすべて「詩」じゃないのね。 あんなもん、 どれだけ上手く書いて どれだけ人を感動させたとしても、 詩なんかじゃない。 詩情が溢れているものに過ぎない。 俺は詩が書きたいんであって、 詩情に溢れたものを書きたいわけでもないし(そんなのはもう飽きた)、 ましてや、 詩によって自分の気持ちを言葉にして表明したい気持ちなんかさらさらない。 詩の核ってのは、もっと別の場所にあるような気がする。 詩情なんかとは全然別の場所でニヤニヤしてる。
たぶんね、詩を書こうと思ったら「詩」は書けないんだよ。 超ひも理論における素粒子みたいに、振動しているのかもしれない。 観察するという行為によってその姿を変え、 本質を把握されるのを拒んでいるのかもしれない。
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