僕の、場所。
今日の僕は誰だろう。
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寒い。誰かがくしゃみをしたから、とかいう馬鹿馬鹿しい些事が理由で今にも雨が降りそうな空だ。と思ったが、はやりそんな不条理な自然界な筈は無くて、雨が降るとすれば飽和水蒸気量を超えたときだ。くだらないなぁ。僕の思考回路もこの世界も。 寒いしさ。雨雪の降っていないときの傘なんて邪魔だしさ。仕事は遅々として進まないしバスだって遅々として遅々として進まない。渋滞。 あまりの渋滞に嫌気がさして途中でバスを降りて歩き出して、この寒さと対峙しているわけなんだけれどね。どちらがマシだったかな…。や、多少寒くても僕は歩いて帰りたかっただろうと思う。 にしても寒い…と思考が再びスタート地点に戻ったあたりで、腹に衝撃。 「………???」 とにかく疑問符。しまった。何事か。ピンポイントのテロリズムが失敗でもしたか。この片田舎で。 そんな訳は無くて、走って来たらしい女の子が僕にぶつかっただけだ。相手も動揺しているらしい様子が見てとれる。学生、くらいの子。まあまあ可愛い感じの子。 「…大丈夫?」 「えっ、あ、はい! すいません!!」 恥ずかしいのだろうか、顔を伏せたままで勢いよく謝った。いいけど、とか適当に返事をしながら、ぶつかった衝撃で落ちた彼女の傘を拾って手渡す。駆け出そうとしていたその子は、…なんと涙ぐんでいた。 はっとした僕の表情に気付いた彼女は、もう一度「すみません」と頭を下げた。そして思い切ったように僕に向いた。 「えっと、あの」 「はい」 つい敬語。 「こっちに走ってくる人がいたら、私はあっちに行ったって言ってくれますか」 「ん、うん」 「えぇと…誰も来なかったら、良いですからっ、じゃあっ」 「………」 了承の返事をする前に彼女は走って行ってしまった。な、何だろう。これは一体。よく分からない言伝を頼まれてしまった。 まあいいや…と思いながら彼女を思い出す。涙ぐんでた。誰かに追われてる…じゃ、なくて追わせてる? 彼氏とか? 、と思い至った瞬間になんとなく気持ちが冷めた。やだね男って。自嘲気味に歩き出すまで2秒くらい。ふと視線を前に移すと、”分かった”。 「あの人か…なぁ」 走りつかれて、脇腹を片手で押さえながら辺りをきょろきょろと見回している若い男がいる。会社帰りのリーマンではない様子だ。白い息が間断なく吐き出されて、表情はちょっと険しいが真剣だった。これくらいの真剣さで仕事してくれる上司がいると助かるのだが…と、いらない事を考え、とりあえずその人に近づく。 さてここで僕が不審者にならない程度の声の掛け方はなんだろう? もしかすると人違いかもしれないし。見知らぬ女の子の頼みを僕は了承もしていないのに遂行する義務もないように思えるし。 まあ、でも。 「さっき涙ぐんだ女の子が私にぶつかった上にあっちに走って行ったんだけど……あなたの知り合いでしょうか?」 「………っえ」 絶句したその男の表情はなかなかに見物だった。いや、僕にそんな気があるのではなく。 「っりがとうございますっっ」 そういってわき目もふらずに駆け出した男はきっとさっきの女の子の彼氏か何かのようだ。あの表情は、あの態度は、好きな女性を想っている時のそれだ。この僕が勘付いたのだからほぼ間違いない。とすれば……、あの女の子の涙をあの男が癒すのを神に祈るばかりだ。
いつの間にか僕は、寒さを忘れていた。好きな女の子とケンカでもして、追いかけているわけでもないのに。なんだか、少しだけ明日も頑張ろう、なんて思えてきたり…。 明日はあの女の子が笑っていると良い。
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