僕の、場所。
今日の僕は誰だろう。
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咄嗟に出た手は届かなくて。僕は息を飲む。
つい昨日出会った女の子なのに、もうずっとずっと一緒に居るような錯覚に目が眩む。どうした、しっかりしろ。馬鹿馬鹿しくもお前は今ヤスハラアキトを演じているのだから。さあ行け。 「カヤ! カヤ」 足を一歩踏み出したカヤは、そのまま地面より十数センチ上に立つ。更に一歩、一歩。カヤと僕の視線が同じ高さになったとき、それはそれは微笑ましくも微笑んでみせた。 「アキトさん、見てください。ほら」 「…鍵」 ペンダントのように首から下げられた鍵。風にまかれて軽く浮いていた。そして、困ったことに空中に扉。何だよ。分かってたけどこんな事って有って良いのかよ。なあカヤ? それで満足なのか? 「そんな顔しないで下さい、アキトさん…」 少し上から伸ばされた、僕の頬に触れるか触れないかの距離、カヤの手。 信じられないくらい臆病に、その手に触れようとするのに。腕が、指が、動かない。 「カ、ヤ」 ふわり。ふわり。髪が揺れて。ばたばたと音を立てるのは僕の上着。カヤには大きすぎて、丈も袖も余っている。寒いくらいなのに、僕の頬には何故か汗。 どう、すべきな、の、だっけ。 …落ち着け。
「カヤ、なあ、僕は」 僕の声に振り向く彼女の表情すら眩んで見えて。 「僕は、君と生きたい」 「……えっと」 「どうしても、行くのか」 じっとこちらを見る瞳に圧倒されながら僕は。 カヤのように登ろうとして、やはり適わず。 もう残りわずか。
「ごめんなさい」
ああ、そうか。そうだった。僕は僕でカヤはカヤだった。ほんのり香る夜のように。その名前の通り、もうカヤには触れられることなく。 僕の目の前からカヤは消える。消える。もう。 「……アキトさん!」 いつのまにかもう頂上に居るかのじょは。 「ありがとうございました」 にっこり微笑んで寄越す。頬笑んで寄越す。 なんて返して良いのか分からないでいる僕を残して、カヤは消えようとしている。 だって扉なんて彼女と僕にしか見えていない。だって彼女は空に居て。恥ずかしそうにスカートの裾を押さえなければならないような高さで。カヤ、カヤ。僕はなんて。役目を忘れた役者なんてもう要らないのに。
ふ、と、風が止んで。急に寒さが身を蝕んだ。 何をしているんだ僕は。 遠くで誰かの悲鳴が聞こえて僕は瞬きをしてそれから。 カヤは上空で一歩足を踏み出して、そこには彼女を支えるものは何も無くて。 もちろん、待っているものは落下しかない。
君は幸せだったのだろうか。悪あがきをした僕を笑うだろうか。それとも僕の悪あがきすら、君の守りたかった筋書き通りなのだとしたら。僕を残してひとり結末を迎えた君、なら僕はこれから一体どうしたら。
僕に残されているのは何ページだろうか。 目を、瞑る。
…終
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