阪神・藪恵壹のアスレチックス入りがほぼ決定的になったという。藪は36歳の年齢の割には肉体的に若いという声も多く、昨年に入って球速が140km台後半まで戻ってきた。前評判は高くないが、通用する素地は少なくないと思う。 ここ数年は多彩な球種を操る技巧派のイメージが強くなった感があったが、東京経済大時代は捕手が捕球することすら困難なスライダーに150km級のストレートを売り物にしていた本格派投手。 朝日生命から阪神に逆指名で入団した94年は新人王を獲得するも、弱体チームのエースとして大成を阻まれた暗黒時代の悲哀を経験している藪。こういう投手が、一般的に選手生活の下り坂に入るという年代に球速を若い頃並みに戻し、メジャーに渡るという事実。ある意味で私は、藪という投手を異能の投手だと思う。 その一方、海を渡ることを目標にオフシーズンを送っていた選手が、条件等の面でとんぼ帰りするケースが今年は目立った。井口資仁、中村紀洋、仁志敏久、稲葉篤紀が報道されている顔触れで、このうち井口は自由契約で退団しての移籍、中村はポスティングシステムでの移籍、残る2人はFA権を行使しての移籍を目指していたとされている。 野茂英雄がメジャーへの道を切り開いて以降、日本人選手のメジャー移籍は、一方で歓迎され、一方で日本球界の空洞化や移籍のトラブルといった面で顔をしかめられている。 ポスティングシステムで今オフ中のメジャー移籍を球団に直訴した阪神の井川慶の問題は、今オフのメジャー移籍という話題の中で最も大きな波紋を広げつつある。球団の公式サイトに寄せられたこの問題に対する意見は、ほとんどが井川のメジャー移籍に反対するものだという。 実働4年の選手が球団にメジャー移籍を直訴することが、果たしてファンの目にどう映るのか。そのことを示す問題としては、単純に興味深い話ではある。 その選手が在籍している球団のファン、それ以外のチームのファン、単純にこの問題に関心のあるファン、それぞれで意見は異なるだろうが、このような話題が紛糾することは、メジャー移籍がかなり恒常化してきた現在の日本球界からしてみればいいタイミングであると思う。と言うのは、そろそろメジャー移籍という大きな問題にある程度の道筋を示しておかないと、今後メジャー移籍を巡るトラブルや紛糾が、果てしなく続いていくことになると思うからだ。 私個人の意見を言うならば、メジャーに行きたい選手は、どうぞ好きに行けばいいと思う。別に投げやりな気持ちで言っている訳ではなく、選手が一番いいパフォーマンスを発揮できる環境にいけばいい、という単純な理屈である。 無条件で好きにすればいい、とは思わない。日米双方でより細やかなルール作りは必要だと思うし、ポスティングシステム自体がかなり不透明な制度である以上、ポスティングでの移籍自体にはあまりいい印象を抱いてはいないという思いもある。 FA権行使で移籍できれば一番いいのだが、FA権取得年数という問題もある。日本でのFA権取得年数は最短で9年。高校卒の選手が1年目から活躍したとしても、最短でFA権取得時の年齢は27〜28歳。大学卒の選手となると、FA権を取得するにはどんなに活躍しても30歳の大台に乗ってしまう。 一流選手の選手寿命が日本より長い感のあるメジャーならともかく、日本では選手として最も脂の乗っている時期にFA権を取得する見込みがかなり薄いという現実。井川が強硬に今シーズン中のポスティング移籍を直訴しているのは、つまるところそういった選手としての危機感によるものだと思う。あと5年も待っていたら、自分の貴重なパフォーマンスを自分の望む環境で発揮できない、ということではないだろうか。 井川のポスティング要望や、井口の自由契約による移籍交渉が、単なるワガママだという声も少なからずある。だが、事はそう単純なことではないと思う。 ルールがある以上、それに則るべきだという意見に異論はない。言いたいことがあるなら、選手としてやるべきことをやった上で筋道を立てて申し立てをするのが、一流選手としての流儀である。批判の槍玉に上げられている井川の場合、昨年の成績が優勝して20勝した一昨年に比べてかなり物足りないという事実も、ファンの心証を悪くしていると思う。 とは言え、井川や井口がメジャーに行きたいと思うならば、そのチャンスを与えることに吝かではない。個人的に、FA権の取得年数は5年程度でもいいと思う。その代わり、選手としてのその責任は全て自分で消化し尽くしてほしいと思うし、その覚悟がなければ海を渡るべきではないと思う。 FA権は、選手に与えられたれっきとした権利である。だが、権利である以上、義務が存在する。私はFA権は、球団、そしてプロ野球界に貢献したという証であり、俗っぽい言い方をすればそのご褒美だと思っている。今回、主に阪神ファンが井川のポスティング希望に圧倒的な拒否反応を示したのは、FAという権利に相応しい自由を得る為の貢献をまだしていないじゃないか、たかだか実働4年で一人前の顔をするな、という反発なのではないだろうか。 ポスティングシステムの曖昧さがここにある。イチローが海を渡って以来、ポスティングを希望する選手は雨後の竹の子のように毎年出てきている。そのことはつまり、FA権という権利を得るまで貢献しなくても、ある程度の実績さえあればすぐにでも海を渡る資格ができるという考え方が、球界全体に広がったということだと思う。 有力選手がこぞってメジャーに流出することが、日本球界の空洞化に直結するという声がある。空洞化の問題は、そんな簡単なことではない。力のある選手は、いくらでも海を渡ればいいと思う。問題は、日本球界がメジャー移籍の為の、いわゆる「腰掛け」という位置付けであるということを、多くの選手が思い込むことだ。 そういう選手は、日本球界にしっかりした足跡を残して貢献するという意識が、そもそもないのではないかと思う。 選手が力を伸ばすには、素質や努力はもちろんだが、高いレベルで常に試合のできる環境というのが不可欠である筈だ。プロ野球界とは、言うまでもなく国内最高峰の野球が展開されるフィールドである。その場が日本にあるということを、選手達は当たり前過ぎて見失っているような気がする。そういう場があるということは、本来感謝すべきことである筈だ。 井川は、確かに素質豊かな、日本球界を代表する左腕である。だが、日本にプロ野球がなければ、井川はこれだけの投手になっていたのか。 井川が実働4年でメジャーに行きたいと頑なになっていることには、さして悪い感情は抱いていない。だが、いかにも日本野球を腰掛けとしか思っていないような一連の言動には、どうしても納得できない部分がある。そんなにメジャーで野球をやりたいと言い続けるならば、なぜ高校卒業の段階で海を渡ろうとしなかったんだよ、と。 マック鈴木が滝川二高を中退し、また大家友和は横浜の二軍選手から海を渡り、揃ってメジャーのスターターにまで上り詰めた事実は、野茂英雄という事実と同等、もしかしたらそれ以上に大きい事実なのではないかと思っている。これだけメジャーという目標が現実的に近くなった現状、彼らのようにゼロの立場から海を渡り、そしてメジャーに立ったという事実には、もっと光が当たってもいいと思う。 アメリカのマイナーリーグは、その競争の激しさと同時に、長距離のバス移動や食事・待遇の粗末さなど、選手にとってかなり過酷な環境だと聞く。日本では最低待遇の選手でも高級車に乗っている選手がいて、食うに困らないだけの給料は保証されている。入団時の契約金も、数千万円単位だ。 邪推になるが、「ハンバーガーリーグ」と呼ばれるような環境に身を置く苦労はしたくないが、メジャーには行きたい。その為の「腰掛け」という意識が、日本人選手に広まっているような気がしてならない。その程度のありがたみしか感じていないから、日本球界に何の思い入れも感謝もないような発言が、井川を始めとする選手の口から出ているような気がする。 朝の連続テレビ小説「わかば」で、宮崎から生まれ故郷の神戸に出たいというヒロインが、それを反対する母親に「ここ(宮崎)じゃ自分のやりたいことができない。ここじゃダメなんよ」と訴えるシーンがあった。宮崎はヒロインの一家にとって、阪神大震災の災禍から逃れて移り住んだ土地。それを聞いた母親は、「もう一度言うてみい、このガンタレが」とヒロインを張り飛ばす。住む家を追われた私達にこんなに良くしてくれた宮崎と、家に住まわせて良くしてくれた兄の家族に向かって、ここじゃダメとは何たる言い草か、と。 例えとしては適切ではないかもしれないが、井川の言動を聞いて何とも言えない寂しさを覚えたのは、このシーンを思い出したからだった。井川のメジャーに行きたいという気持ちはわからないでもない。だが、井川に「ここ(日本球界)じゃダメなんよ」と言われたような気がして、それがたまらなく哀しかった。 日本球界の空洞化という問題があるならば、それは選手の意識の空洞化という問題だと思う。素質豊かな選手なら、国内にゴロゴロしている。だが、彼らの意識までが「日本球界=腰掛け」という図式に固まるのならば、それはこの国に住む一介の野球好きとして哀しむべきことだと思う。 その為にも、後腐れのない、選手もファンも禍根を残さないようなきちんとしたルール作りは、絶対に必要なのだと思う。選手の権利はもちろん大切だが、選手もファンも、その明確な物差しをお互いに持っていない、否、見失いかけているような気がする。 選手は気持ちよくプレーできればいいし、ファンも気持ちよく選手を応援できればいい。そんな当たり前のことを、もう一度見直すことができれば、こういった問題はここまで大きな波紋を生まない筈だと思う。
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