確かに主役ではなかったかもしれない。名選手でもなかったかもしれない。しかし、彼は確かにそこにいたのだということを、いなくなってからしみじみと感じる、そんな選手だった。“名優”であったことは、間違いない。 近鉄の鈴木貴久2軍打撃コーチの訃報には、本当に大きなショックを受けた。17日朝、急性気管支肺炎で亡くなったという。享年40歳。一報を知ったときは、ただただ唖然呆然とするしかなかった。 鈴木氏と言えば、いまでも多くの人が思い出すであろうシーンが、私の中にもフラッシュバックしている。あの伝説の「10.19決戦」、ロッテとのダブルヘッダー第1試合。正念場の9回表に逆転のホームを踏んだ鈴木が、コーチとグラウンドを転げながら抱き合っていたシーンはいまでも鮮明に覚えている。逆転打を打ったのは、現監督の梨田昌考だった。 享年40歳という若さに驚いていながら、海の向こうから飛び込んできたのはアリゾナ・ダイヤモンドバックスの超人サウスポー、ランディ・ジョンソンが完全試合を達成したという一報。アトランタ・ブレーブスを相手に達成した偉大なる記録は、完全試合の最年長記録を100年ぶりに塗り替える偉業でもあったという。御年40歳8ヶ月、ビッグユニットは不沈艦なのだろうか。 さらに飛び込んできたのは、元プロレスラーのサンボ浅子こと浅子文晴氏の訃報。大仁田厚が旗揚げしたFMWに参加し、全盛期160kgの巨体に似合わぬ華麗な空中戦とサンボ選手権でメダルを獲得したレスリングテクニックで、FMWにはなくてはならないレスラーだった。引退後に糖尿病による壊疽で右足を切断し、右目も緑内障でほとんど失明状態だったという。彼もまた、享年40歳。 昨日完投で無傷の5連勝を飾った巨人の工藤公康も40歳。こうも同じタイミングで同じ世代の悲喜が重なると、「40にして不惑」という言葉の意味までつい考えてしまう。それにしても、形の上ではその“きっかけ”となってしまったかのような鈴木氏の訃報には、いまでも信じられないような気持ちが残っている。 あの「10.19決戦」の頃、近鉄の打線にはオグリビーや大石第二朗がいて、翌年に悲願の優勝を果たしたときには4打席連続本塁打で王者西武に引導を渡したブライアントがいた。その後の4番には石井浩郎が座り、それらの面々によって豪快な猛牛打線のイメージは作られていた。しかし、そのイメージを本当に確かな形にしていたのは、新井宏昌、村上隆行、金村義明といった、如何にも泥臭く無骨で、それ故に近鉄カラーという個性にマッチした面々の活躍だったと思う。鈴木貴久も、そんな中で息長く活躍していた打者の一人だった。 ブライアントのように本塁打数が特別多いわけでもなく、石井のように卓越した巧打がある訳でもない。それでも鈴木は長年の間猛牛打線の5番ないしは6番という座を担ってきた。どんな投手に対しても真っ向勝負のフルスイングで応じるその姿は、現在のいてまえ打線を引っ張る中村紀洋に重なる部分もあった。しかし、中村のそれのようにジャストミート時に見せる華やかさとは対照的に、鈴木のフルスイングには、相手のどんな球にも食らい付き、叩き潰し、強引にでもボールを野手のいないところにねじ込んでくる、そんな泥臭さと無骨さ、そして猛々しさがあった。 キャリアの中で打率.300を超えたことはないが、87年から4年連続20本塁打以上を記録したパワーは、長打力というよりも、どんな難しい球も外野までは運ばれる、そんな奇妙な怖さに繋がる勝負強さになっていた気がする。否、それは鈴木だけの怖さではなく、村上や金村らが併せて持っていた猛牛打線そのものの怖さだった。 決して主役ではないが、彼らがいなければ猛牛打線は猛牛打線たりえなかった。その意味では、村上や金村こそ猛牛打線の象徴であり、その中で近鉄一筋の野球人生を歩んできた鈴木こそ、象徴の中の象徴だったように思う。そんな鈴木は、チームが本拠地を移転したときに大阪ドーム第一号の本塁打を放ったが、藤井寺球場のあの独特の雰囲気こそ猛牛打線の雰囲気であり、鈴木貴久という選手によくマッチしていたようにも感じる。 使い古された言葉だが、記録ではなく記憶に残る選手。近鉄だけでなく、阪急、南海、当時のパ・リーグには随分と泥臭く、激しく、それでいてどこか牧歌的な薫りが漂っていたように思う。それが当時本拠を置いていた関西圏の気質なのかどうかはわからないが、関西の電鉄会社系球団が軒を連ねていたあの時代、それぞれに違う色合いが同じ文化で溶け合い、それが一種の味わい深さを演出していたのは紛れもない事実だったのではないだろうか。 洗練されたスマートさも、それはそれでいい。ただ、あの頃の味を懐かしむような気分も少なからずある。そんな空気を持っていた名優が、40歳の若さでこの世を去るという無情さには言葉もない。 伝説の「10.19決戦」は88年、既に16年も昔の話になる。時の流れの移ろいやすさというものを感じずにはいられない。 野茂英雄が日米通算200勝に近付き、イチローは日米通算2000本安打にあと2本。また一つ、時代が流れようとしている。だからこそ、泥臭く激しい一人の元選手の早逝は、自分の中でそう簡単に飲み込むことができそうにない。本当に味わい深いものは、いつも失ってからやっとその大きさに気付く。合掌。
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