月の輪通信 日々の想い
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2008年08月26日(火) エプロン

父さんと買い物に出て、私の仕事用のエプロンを買った。
ひざ上丈の短い袖なしスモックタイプ。
大きなポケットがついていて、頻繁な洗濯にも耐える実用第一のしっかりしたもの。
足元まで汚れる釉薬掛けの時には、この上に重ねて長めの前掛けエプロンをもう一枚。
これが最近の私の仕事場スタイル。

お買い得のSALEマークとともに吊られたエプロンの中から、目的に合ったエプロンを探す。
レースやアップリケの飾りは要らない。
濃紺地はきれいだけれど、すぐに土で真っ白に汚れる仕事には向かない。
帆布を使ったオフホワイトは、色とりどりの釉薬で汚れる釉掛けには向かない。
結局最後に残ったのは、仕事でよく使う緑や飴色の釉薬の色によく似たスモークピンクとモスグリーンの2点。
「どっちの色がいいと思う?」
二つをかざして父さんに問う。
「ピンクもいいけど、モスグリーンのほうがかえって若く見えるかな」と言われて、「ふうん、そんなモンかな」とモスグリーンのエプロンを買い求めた。

帰宅後、さっそくおニューのエプロンで仕事に入る。。
キイキイと鳴る古い作業椅子に腰掛けて、数物の器の素焼きに透明釉をかける。
刷毛に含ませた釉薬を素焼きの生地の上にたっぷりと置くように塗る。ちょうどよい加減に糊(CMC)の利かせた釉薬なら、気持ちよく刷毛が伸びて、一度塗りからムラもなくきれいに塗りあがる。最近になってようやく、その糊加減と刷毛の重さのバランスがわかりかけてきたところだ。
今にも垂れ落ちそうなほどたっぷり釉薬を含んだ刷毛を白い素焼きの生地の上に最初の一刷毛入れる瞬間の心地よさ。
塗り上げた釉薬の水気をジワジワと生地が吸って、見る間になじんで乾いていく変化の面白さ。
繰り返し繰り返し行う単調な作業の中にも、何度やっても飽き足りないささやかな面白みが確かにある。
私は多分、釉掛けのこのしごとが好き。
この同じ仕事場で何十年も釉薬掛けの仕事を黙々とこなしておられたひいばあちゃんも、こんな風にささやかなうれしさを絶えず味わっておられたのだろうか。

数時間も作業をすれば、おニューのエプロンもたちまち釉薬の染みと洗い物の水の跳ね返りでくたくたに汚れ果てる。
「本日の作業、終了。」
今日の成果は桟板3枚分。
釉薬掛けを終えた生地を乾燥室に仕舞い、刷毛を洗う。
作業場の手元のライトを消して、エプロンをはずし、くるくると丸めて作業椅子の上に・・・。

あーっ、そうか。
汚れたエプロンを作業椅子の上にポンと投げたところで、ようやく思い至った。。
このエプロンの色、ひいばあちゃんがいつもしていた前掛けとおんなじ色じゃん!
仕事を終えたひいばあちゃんがいつも小さく丸めて作業椅子の上においておられた、灰緑の腰巻前掛け。
土に同化してしまいそうな、目立たぬ地味な色ばかりを好んで身につけていらしたひいばあちゃん。何枚かある前掛けはどれも似たようなくすんだ色のものばかりだった
「若く見えるよ」といわれて「そんなものかな」と選んだエプロンが、妙にしっくり懐かしい気がすると思っていたのは、そのせいだったんだ。

もしかしたら父さんが、私の仕事場エプロンとしてこの色を選んだのも、頭のどこかに、いつもひいばあちゃんが着けておられたくすんだ緑の前掛けエプロンのイメージが強く残っていたからかもしれない。
そのことを父さんに言ったら、
「なるほど、違和感ないなぁ。」と作業椅子の上の私のエプロンを指差して笑う。
「若く見えるって、言ったくせに!」と、私も笑う。

つい今さっき仕事を終えて2階へ上がっていかれた後のように、ひいばあちゃんの椅子にひいばあちゃん色の作業エプロンが掛かる。
ひいばあちゃんが逝ってしまわれてから、はや半年。
大先輩の席に陣取り、まだまだ落ち着かない刷毛さばきで釉薬掛けを学ぶ日々だ。
せめて身につけるものの色だけでも、明治の職人技の匠に似せる。


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