月の輪通信 日々の想い
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2007年03月05日(月) はったり

一雨ごとに春になるというけれど、今日の雨は暖かくていい雨だった。
まだ裸木の梢にプツプツと顔を出し始めた新芽が、たっぷりと雨粒を溜めてキラキラ光っている。
傘をさそうかさすまいか。
迷うほどの小雨がまたいい。



ゲンが悔し涙をいっぱい溜めて帰ってきた。
また、I君とケンカをしたらしい。
I君は幼稚園からの付き合いで、調子のいいときには一緒に虫取りをしたり、焼き芋大会やロッジのキャンプにも遊びに来る仲良しだが、なにか気に入らないことがあると、決してやり返さないゲンや体の小さい他の友だちをターゲットにして暴力を振るう。
先週の金曜日にも、遊び半分からつかみ合いになって、上着のファスナーを壊されて帰ってきた。担任のT先生に連絡して、Iくんの家庭に電話をしてもらい、さて、今日はどうかと思っていたら、校門を出たところで激しい取っ組み合いになったようだ。

I君の家に電話をしたが、I君母の反応は薄い。
「遊び、ふざけの延長」「子どものケンカ」と軽く受け取って、「一方的暴力」という認識はないようだ。
時々口にする謝罪の言葉も、この場を納めるためにしょうことなしに口にしているというような薄っぺらさ。
自宅へ謝罪に来られて、I君母がI君にかけた第一声が、
「ほら、ちゃんと自分の言葉で言わな、いつまでたっても終わりにならへんで」だった。
「この人には通じない」
そんな気がした。

で、しょうがないから私がかました「はったり」
「ゲンはこれまでもできるだけやり返さないように我慢してきたけれども、私はゲンに『これからはやられたらガンガンやり返していい』という。
この子は本当に我慢しきれなくなると、思いがけない反撃に出るよ。そちらがどんな怪我をして帰る事になっても知りませんから。
最近、中学では今回のような暴力には警察の介入もあるようだから、今後何かあったら、そういうことも覚悟しておいてくださいよ。」

完全なる「はったり」だ。
ゲンには、そこまでやりかえす勇気も愚かさもないでしょう。
ただ、横で聞いているゲンのためにも、「闘う母」の姿は見せておかなければならないので。

一方的暴力を繰り返す子どもの親は、概して子どものちょっとした暴力に対する認識が甘い。
「ちょっとふざけが過ぎただけ」「遊びの延長だった」と暴力を正当化する。
ふざけも遊びの延長もやられた側が「嫌だ」と思った瞬間、「いじめ」になる。叩いた本人がどんなつもりで叩いたかなんて、いじめか否かを判断するときには、ただの言い訳にしかならない。
そんな当たり前のことが、共通認識としてもてない人とは、いくら言葉を重ねても分かり合えない気がして空しい。




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