月の輪通信 日々の想い
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2006年06月05日(月) 母の憎しみ

秋田の小1殺害事件の犯人が逮捕された。
事件の一月前に娘を亡くした近所の母親の犯行だったという。
「何故、そんな身近な人が・・・」と思う気持ちと「やっぱりその人だったか」という気持ちと。
本人はまだ殺害自体は自供していないという。
ニュースでは、犯人の生い立ちやら職歴やらあれこれ引っ張り出してきては、「犯行の動機」やら「事件の背景」やらを推理し始めている。家事もあまりしていなかったとか、人付き合いが良くなかったとか、わが娘にも虐待や育児放棄があったのではないかとか、近所の人の談話やコメンテーターと称する人たちからの情報でそれらしい母親像が作り上げられていく。
嫌だなと思う。
「わが子を失った悲しみのあまり、元気な隣家の男の子に妬んで、刃を向けた。」
そういう母性におぼれた愚かな母のままで、置いておいてくれないかなぁと思ったりする。

ある日、突然わが子を失った母がいるとする。
お悔やみの言葉も慰めの言葉も山ほど聴いて、たくさん泣いて、それでももう手元に生きたわが子を抱くことができなくて、ふと窓の外を見るとついこの間までわが子と一緒に仲良く遊んでいた隣家の男の子が元気に走っていく。
「なんで、死んだのは隣のあの子じゃなくて、うちの子なんだろう。
あの家にはまだ当たり前のように元気な子どもが帰ってくるのに、なんでうちの家には子どもが帰ってこないんだろう」
とねたましい思いや憎しみの心が沸いてきたとしても、不思議じゃない。

少なくとも私はその母の気持ちが理解できる。
生後3ヶ月の娘を病気で失ったとき、街で同じくらいの月齢の赤ん坊を見かけると「なんでこの子じゃなくてうちの子が・・・」と心潰される想いで苦しかったのを思い出す。
それは、はっきりと憎しみだった。
「殺してしまいたい」とは思わなかったけれど、「見たくない」「消えてしまえ」と呪いの言葉を吐きたくなる、そんな時期もあった。
そんな時、周りの人たちからの慰めの言葉やいたわりの気遣いはただただ耳障りな雑音としか受け入れられなかった。
「死児の齢を数える」というと、考えても取り返しの付かない詮無いことを言う言葉だが、娘を失って10年近くたった現在でさえも、ちょうどその年齢ぐらいの子どもに対して「なぜこの子じゃなくて、あの子だったんだろう」と黒い想いがふつふつと沸いてしまうときもある。
その事を私ははっきりと自覚している。

事件の前に、少年の家族は母親に、生前の少女が自分ちの子どもたちといっしょに水遊びをしているビデオを渡したのだという。
娘を失った母をそこまで気遣ってあげたのに・・・という裏切られた想いが多分被害者の家族にはあるだろう。
でも、あれって微妙だなぁ。
失ったわが子の生前の元気な姿を、せめてビデオででも見てみたいという気持ちと、一緒にビデオにうつっている隣家の子どもたちは生きていてわが子だけがいなくなったというギャップに苦しむ気持ち。
それがどんなバランスでその時期の母親の心の中に位置していたかは誰にも分からない。
隣家の人々にとっては嘆きの母をいたわる慰めのつもりでも、生傷に塩を刷り込む残酷な贈り物になることもある。
少なくとも私は、犯行発覚前の報道でビデオの話が流れたとき、「善意とはいえ、それはキッツイ慰め方やなぁ」と複雑な想いがした。そういう「優しさ」を真正面から受け止めて「ありがたい)と感じられるためには、それなりの時間と十分な癒しが必要だったはずだ。

だからといって、隣家の子どもに対する妬みや憎しみを直ちに「殺意」に変換してしまうことが普通とは思わない。「憎しみ」と「殺意」の間には、常人ならめったに超えることのない高い障壁があるはずだ。
だから、犯人の女性を擁護したり、共感したりすることは絶対に出来ない。
それでもなお、この陰惨な事件を「愚かな母親がわが子を失った悲しみのあまり、隣家の男の子に殺意を抱いた。」という単純な動機で終わらせて欲しいと心のどこかで願ってしまうのは、私自身の中にかつて生まれたことのある暗い思い、そして今で心の片隅でひそかに息を潜めているに違いない憎悪の気持ちを正当化したい、あるいは普遍化したいという愚かな願望のせいかもしれない。
その事をまだ私はどうしても整理しきれないでいる。


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