月の輪通信 日々の想い
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秋田でまた小学一年生の男の子の受難。 連日の報道に胸が痛む。 なぜ、幼い命がこんなにあっけなく絶たれるのだろう。 聞けば、自宅のすぐそばの公園で友達の親子と別れてすぐに消息が分からなくなったのだという。 その距離、たったの80メートル。 バイバイと手を振れば見通せる距離。 そんなわずかな間隙にどんな悪魔が潜んでいたのだろう。
「ちょっとおばあちゃんちへいってくるね。」と斜め向かいの工房へいそいそとでかけていくアプコ。 下校途中「おしっこしたいから、先に走って帰るね!」と駆け出すアプコ。 公園で「先に帰るよ!」と呼んでいるのに「お願い!ブランコ、一回だけ!」と帰りを渋るアプコ。 そのとき、私とアプコの間の距離は何メートル? 我が子との距離を「不安」というメジャーで何度も何度も測ってしまう。 いやな習慣がここのところ染み付いてしまって抜け出すことが出来ない。
先日のアプコの遠足のときのこと。 朝、我が家の前のハイキングコースを皆と一緒に通過していったアプコ、しばらくして一人のお友達を連れて駆け戻ってきた。 すぐ先の集合場所で引率の先生から「トイレについて行ってあげて」と頼まれて、お友達を案内してきたのだという。たまたまその場所での引率の先生の手が足りず、仕方なく近所に住んでいて地理に明るいアプコが案内役に起用されたのだろう。 ちょうど私が外に居て、走って戻ってくる二人を見かけたので、「あそこのトイレは汚いし怖いから、うちのを使いなさい。」と自宅のトイレを使わせた。 この日の「トイレ拝借」は合計3回。3回とも先生の引率は無しで、アプコが同じく低学年の女の子と手をつないでやってきた。
先生が指示したトイレはひと気も無く、普段余り利用されていない薄暗い公衆トイレ。たまたま私がアプコの姿を見かけたから自宅のトイレを使わせたけれど、そうでなければアプコはお友達と二人であの公衆トイレに入っていたことだろう。普段から「あのトイレには近づいちゃ駄目よ」と言い聞かせている場所だけにぞっとする。
こんなことでいちいち口うるさく言うのはどうかなぁとためらいつつ、アプコの帰宅後学校に電話を入れた。電話口の教頭先生に状況を話し、トイレを貸したことに苦情ではなく、低学年の女の子だけでひと気の無い公衆トイレに行かせることへの不安を訴えたいのだと念を押した。その時点では教頭先生はこちらの意図する所をちゃんと汲み取ってくださったようだった。多分他の先生方にもちゃんと伝えて置いてくださったのだろう。 後日、学校に顔を出した折に何人かの先生方から「先日はどうも・・・」と声をかけていただいた。たいがいの先生にはこちらの意図は通じているようだったけれど、中にはやはり、自宅のトイレを貸したことへの苦情ととっている先生もあったようで、その辺の危機管理意識の溝はあるなぁと感じた。
ここ数年、幼い子どもが攫われたり、意味も無く突然殺されたり、わけの分からない事件が続く。親が安心して子どもの手を離して歩ける距離がどんどん短くなっていくような気がする。 同じ年齢のときのオニイやアユコには「一人で行ってごらん」と言えた距離が、「ちょっと待って、お母さんも一緒にいくから」と言わざるを得ない距離になる。 「一人で行けて偉かったね。」といえた場所が、「危ないから一人で行っちゃ駄目。」の場所になる。 今回の「トイレ拝借」の事だって、指示を出した先生にとっては「これくらいなら大丈夫」の距離、私にとっては「子どもだけでは行かせられない危険な場所」という微妙な危機意識のズレの問題だったということだろう。
集合場所から公衆トイレまではそれこそ80メートル余り。 この短い距離を「安全」と思えない私は、臆病な母なのかもしれない。
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