月の輪通信 日々の想い
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小5の男の子が先生に叱られて自殺したのだという。 TVで少年の叔母という人が学校の対応について抗議していた。 ことの詳細は多分当事者でなければわからない。推測であれこれ論評するのはイヤなのだけれど。
パソコンしながら、ニュースを小耳にはさんでいたオニイが 「小5で『死にたい』なんて、ほんとに思うのかな。馬鹿だな。」 というような意味のことを言った。 そばで聞いてた父さんと私が即座に反応して、 「小学生にだって死にたいと思っちゃうことってあると思う。『馬鹿だな』とは思えない。」 と同時に反論した。オニイ、両親の反応にちょっとびっくり。
大人が考えるような「死にたくなって当然」という状況に陥っていたかどうかは別として、小学生にだって「もう死んじゃいたい」と思う気持ちや「死んでやる!」と怒る気持ちになることはきっとある。 父さんは、小学生の頃、コンプレックスやら何やらで毎日のように「死にたい」と思っていた時期があるという。 私だって、友達との些細なトラブルや失敗で「死んでしまいたい」と思ったことがある。悲劇のヒロインの心境で、原稿用紙に遺書めいたものを書いてみたが、習ってない漢字に振り仮名をつけている自分に馬鹿馬鹿しくなって死ぬのはやめた。 去年、怒りのあまり雨傘を引きちぎった時のゲンだって、ちょっと方向を間違えば「死んで、あいつらに思い知らせてやる!」と思っていたかもしれない。今、考えると改めて空恐ろしくなる。 そういえばオニイだって、友達にいじめを受けたり、自分で自分の気持ちがコントロールできなくなったりして暗い顔をしていた時期だってあったじゃないか。 あんなつらい時期にも、オニイは本当に「死にたい」なんて思わなかったんだろうか。だとしたらこの子は強い。少なくとも「死にたがるヤツは馬鹿だ。」と思えるだけの太い心棒がこの子にはあるのかもしれない。 「プライドが高くて傷つきやすい子」と思っていたオニイの意外な図太さには、父母のほうがちょっと面食らった。
「死にたい気持ち」になることと、実際に自殺を決行することとは明らかに違う。その境目にあるものは何なんだろう。 「死ぬのは痛いぞ、苦しいぞ」という恐怖。 「生きていたらもしかしたらいいことがあるかも」という希望。 「父さん、母さんは悲しむかな。」という家族への想い。 「自分を殺しちゃダメ。自殺は罪悪」という倫理観。 小学校5年生の男の子に欠けていたのは、何だったのだろう。 オニイやゲンや父さんや私を自殺の危機から遠ざけていたのは、一体なんだったのだろう。 たった10年かそこらで衝動的に自分自身を殺してしまった少年は、きっと今頃後悔してこちらへ戻って来たいと泣いている事だろう。 痛ましい。
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