月の輪通信 日々の想い
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数日前、加古川の父母から、「神戸のルミナリエを見に来ないか」というお誘いがあった。 去年も、アユコと私で呼ばれていったのだけれど、今年は受験生のオニイをのぞいて、ゲンやアプコも一緒に連れてきてよいという。 イナカモンの我が家の子どもたちは、せいぜい近所の住宅地のイルミネーションを見たことがある程度。しかも都会の、夜の繁華街などほとんど知らないゲンやアプコにとっては、ドキドキワクワクの初体験だ。 前日、ゲンはTVで流れるルミナリエの現場中継の映像を「本物を自分の目で見る前にTVで見ちゃったら楽しみが半減する」といって、中継の間中コタツに顔を伏せて見ないようにしている始末。その喜びようがあまりにストレートなのが、ゲンの面白いところ。
午後、JRに乗って三ノ宮で待ち合わせ。元町に向かって地下街やセンター街をぶらぶらと歩く。 子どもたちは、あちこちのショーウィンドウやクリスマスの華やかな装飾に目をとられてあっという間におのぼりさん。途中でかわいい雑貨や新しい運動靴をおじいちゃんにねだり、十分に甘えさせてもらってご機嫌だ。
娘時代には私も、こんな風によく父や母と年末の神戸の町を訪れたものだ。新しい洋服や靴を買ってもらい、老舗の中華料理屋さんで食事をし、買い物荷物をいっぱい抱えてアイスクリームを食べた。果物屋さんの店頭で甘栗を買って、オーバーのポケットの中で剥いて食べながら歩いたこともある。あのちょっと甘やかされたような、きらきらした楽しい気分が思い出されて懐かしい。 震災後、神戸の町は大きく変わって、あの頃のお店や町並みはすっかりなくなってしまったけれど、それでも昔よく行ったお店の名前や古めかしい店構えをそこここに見つけて嬉しくなる。 あの頃、父や母と一緒に歩いた町並みを、自分の子どもたちも一緒にそぞろ歩く不思議さ。父母の娘としての私と子どもらの母としての私の微妙なバランスが、くすぐったくていつまでも身に添わず、それでもなんだか嬉しくてたまらない。
元町でかなり早めの晩御飯を食べ、点灯前のルミナリエ会場の行列に加わる。人ごみに紛れて、前がよく見えないアプコをアユコが抱いたり背負ったりして世話を焼いてくれる。 ゲンは入り口の点灯前の装飾だけでも、すでに予想を上回るスケールと華やかさだったらしく、「なんか、すごいな。」と興奮状態。予定時間を前倒しにして、夕暮れの中で照明に点灯されたときには、「ウォー」と周りのどよめきにつられて歓声を上げた。
光の門をいくつもいくつも通り抜けながら「夢みたい!」と喜ぶアプコに、アユコが「あのね、アプコが生まれる前に、この街に大きな地震があってね」と話しているのが聞こえた。ちょうど去年、初めてルミナリエを見たアユコに私が話したのと同じ、神戸復興の話。 あの震災のとき、アユコはまだ物心もつかぬ赤ん坊だった。震災前の神戸も瓦礫の山と化した町並みも知らないアユコが、アプコにこの街の復興を語る。 子どもたちにとっては震災の陰など微塵も見当たらない華やかな町並みの印象の中に、災禍から再び立ち上がる人間の営みの力強さが少しでも加味されるといいなぁと思う。
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