月の輪通信 日々の想い
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2005年10月10日(月) 赤いお茶わん

アプコが自分でわざわざお茶菓子を用意してきて、おじいちゃんおばあちゃん達にお抹茶を振舞うという。
アプコはお抹茶を立てるのが好き。父さんやおばあちゃん達がお客様にお抹茶をおだしするのを見て、お抹茶の点て方を習った。最近になってようやくお茶筅を細かく動かして美味しいお抹茶を点てる事が出来るようになってきて、時々おじいちゃんやひいばあちゃんに自分で立てたお抹茶を振舞う。
アプコにしてみれば、贅沢なリアルおままごと感覚なのだけれど、ひいばあちゃんがババ馬鹿全開で褒めてくださるので、アプコはお茶の時間が大好きなのだ。

今日もひいばあちゃんたちにお抹茶をお出しして、仕事場の父さんにもお抹茶を運んでアプコは上機嫌だった。
下げてきたお茶わんの洗い物をする私の横で、あれこれお喋りするアプコの声のトーンが高い。ちょうど階下に見えていたお客様にもお煎茶を運んで、「お利巧ね。」と褒められたりして、かなり気持ちが高揚していたのだろう。「何か他にすることない?」というので、洗ったお茶わんを拭いてもらう事にする。
「落とさないように気をつけてね。」とアプコに洗った抹茶茶わんを手渡す。「うん、わかってる。このお茶わんはね、アタシの大事なお茶わんだから、きれいに拭くね。」
と大事に布巾に包むようにしてお茶わんを拭く。

赤い大振りのお茶わんは最近、ひいばあちゃんがアプコのためにわざわざ拵えてくださったもの。最近仕事場に降りてこられる時間がめっきり減ってきたひいばあちゃんの貴重な最新作。底にはアプコの名前も彫りこんである。97歳の熟練の手がひねり出すお茶わんは、本当を言えば我が家では家宝級の一品なのだけれど、ひいばあちゃんはそれをアプコのお茶道ごっこに惜しげもなく拵えて下さる。アプコにもその貴重さはよくわかっていて、「赤いお茶わんは私のお茶わん」と大事に大事に扱っていたはずだった。

「あ!」
と、声と同時に赤いお茶わんがアプコの手から離れた。
布巾で拭き終わったお茶わんを、アプコは私に手渡そうとしたのだろう。たまたま二人のタイミングがあわなくて、赤いお茶わんはアプコの手から離れ、台所の床に転がった。アプコがそれを追うように床に這い、手を伸ばすのがスローモーションのように見えた。
恐る恐る取り上げたお茶わんを見ると大事な呑み口の部分が大きく欠けている。アプコの目にみるみる大粒の涙が溜まり、唇がわなわなと震えた。
「大事なお茶わんなのに・・・どうしよう」
欠けた破片を拾い上げて茶わんにあわせて見るけれど、柔らかい楽のお茶わんは細かく砕けて修復のしようがない。
「どうしようねぇ、困ったねぇ。」
私はわっと泣き出したアプコをぎゅっと抱きしめる事しかできなかった。

割れたお茶わんをそっと袋に入れて、こそこそと仕事場に持って下りて、父さんに見せる。父さんはパテや瞬間接着剤を持ってきて、なんとか修復を試みてはくれたのだけれど、破片が細かくてなかなか難しい。
アプコは、出来ることなら、父さんにうまく修復してもらって、何事もなかったかのように、黙っておきたかったようだけれど、それはまず、無理だろう。
「ねぇ、アプコ。これはもう元には戻らないよ。父さんがどんなに上手に直してくれたとしても、ひいばあちゃんにはお茶わんが欠けた事はすぐにわかっちゃうよ。だから、ひいばあちゃんに『ごめんなさい』と謝って、もう一回作ってくれないか頼んでみようよ」
と何度も言うのだけれど、アプコは出来ることならひいばあちゃんには知らせたくないらしい。
どうしようもないことはわかっているけど、何とか何事もなかったかのように元通りに修復したい。
そんなアプコの気持ちが痛いほどわかって、なんだかこちらまで、切ない気持ちになってしまった。

「よし、ひいばあちゃんのところへ一緒に行こう。」
修復作業を諦めた父さんが立ち上がった。
「アプコ、行くか?」と父さんが訊くと、アプコもこっくり頷いて立ち上がっる。
ひいばあちゃんは、お茶の時間が終わって、寝間へ戻ってちょうど休もうとしておられる所だった。耳の遠いひいばあちゃんに、父さんが大きな声でゆっくりと事情を話す。ひいばあちゃんの寝床の傍らに立ったアプコがまたぽろぽろと泣き出した。
「大事にしてたんだけど、落としちゃったの。・・・お茶わん割れちゃったの。」としゃくりあげるアプコの様子に、ようやく仔細をのみこんだひいばあちゃん、
「そない泣いたらアカン、お茶わんくらい、なんぼでも作ったるがな。泣いたらアカン、泣いたらアカン。」
とアプコを慰めてくださる。
そして「お茶わんくらい、すぐ作ったるがな。」といって、本当に寝間から起き出して、仕事場へ降りて行かれる。
父さんと私も大急ぎで仕事場へ降りて、ひいばあちゃんの仕事場に新しい土とろくろを準備する。

ひいばあちゃんのひねりの仕事を間近で見るのは久しぶりだった。
長い職人としての年輪を刻んだ手が、新しい土塊をひねり、千切り、展ばす。普段、居間で食事をしたりTVを眺めたりしておられるときには見られない、きびきびとした無駄のない手の動き。その手の中から本当に魔法のように作り出されるお茶わんの形。
ひいばあちゃんの傍らに椅子を持ち出して、アプコがその手の技をじっと見つめる。大事なお茶わんを欠いてしまった悲しさも忘れて、身じろぎもせずに見つめるアプコ。
ひいばあちゃんは、普段、仕事中にはほとんど話をしない。耳が遠いので、こちらから話しかけても、返答はない。
そのひいばあちゃんが作業の途中で、「お茶わん、落としてしもたんか。」と訊く。アプコ、こっくり頷く。
しばらくしてまた、「お茶わん、二つ作っとこうか・・・。」と訊く。アプコ、こっくり頷く。
その様子を扉の陰からそっと眺めていて、私は不覚にも涙がこぼれそうになった。

耳の遠いひいばあちゃんと声を出して返事をしないアプコの間に、周りの者を寄せ付けない深い理解と共感があるのは何故だろう。
近頃では仕事場に下りる時間よりも寝間で休息する時間が増えてきたひいばあちゃんを、寝床から引っ張り出し新しいお茶わんをひねらせるエネルギーって、何なんだろう。
そして、移り気でものに執着しないアプコの心をこれほどまでに揺り動かすひいばあちゃんの作品の力ってどこから来るのだろう。
それが、ひいばあちゃんからアプコへの深い愛情であるならば、毀れた赤いお茶わんは、アプコや父さんや私に、もったいないほどの大事な大事な時間を運んでくれた事になる。


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