月の輪通信 日々の想い
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ゲン、早朝から剣道の遠征試合で松江へ出発。他の道場の人たちと大型バスに乗り合わせての、一泊の遠征旅行だ。
「試合に行くのだから、くれぐれも竹刀の手入れはきっちりしておくように・・・」と先週から確かに引率のI先生に言われていた。 剣道の竹刀というのは、稽古を繰り返すと刀身の部分がささくれたり割れたりしてすぐに傷む。そのままにしていると怪我につながるので竹刀の手入れは日頃から厳しく教えられている。万一の破損を考えて、竹刀は常に2本用意しておくのも大事な事だ。 ささくれた竹は専用のナイフで削るが、もっと痛みが激しくなると分解して部分的に新しい竹に差し替えたりして修理を施す。4本組み合わせた竹が全部駄目になると新しい竹刀を購入しなければならなくなる。 扱いの荒い子ども達にとって、竹刀はまさしく消耗品だ。結構出費もかさむので、先生のところで既製の竹刀ではなく、割安な竹だけを分けていただいてきて自分で組み替えたりて使ったりする。
昨日、ゲンにはちゃんと竹刀のチェックをしておくようにいっておいた。オニイが一緒にチェックして、一本は組み替えて整えてくれたけれど、もう一本は組み替える竹が足りない。 道場のF先生の所まで新しい竹を買いにいかなければならないかなぁと思っていたけれど、「このくらいなら、なんとかいけるんじゃない?」とオニイがいうので、ささくれを丁寧に削ってなんとかごまかしておく事にした。 夜、道場の稽古に出かけたら、帰りに案の定、I先生のチェックが入って、「ゲンの竹刀はダメですよ。ちゃんと替えといてください。」 とダメ出しを喰らってしまった。 この時間から竹を買いに行くなら、F先生がお帰りになる夜の10時ごろに再び滑り込みで買いに行かなければならなくなる。 あちゃー、どうするよ。 「いける、いける」とダメ竹刀にOKを出したオニイが妙に責任を感じて、家にある在庫の竹や古竹刀をひっくり返して、なんとか使える竹刀を組み上げてくれた。 当のゲンはと言うと、終始困った顔をしておろおろするのみ。いつもはオニイに生意気に食って掛かるゲンもさすがに神妙だ。
そして今朝。 「着替えは入れた?靴下は?面タオルは?」 散々繰り返してチェックさせて送り出したはずだった。 重い防具袋に竹刀袋、着替えやおやつを入れたリュックに水筒をもって、よろよろ車に乗り込むゲン。 「だいじょぶかなぁ・・・」 なんとなくいや〜な予感はあった。
「ゲンのいない休日ってなんか静かだよな。」 「ゲンにいちゃん、何食べてるかな?」 お昼ごはんのときだった。 かかってきた電話に出た父さんが、 「えっ!ゲンがですか?・・・・はぁ・・・はぁ・・・いやぁー。申し訳ありません・・・・」 と絶句している。 まさか、けが?事故?迷子? 一瞬家中が凍りついた。
「・・・ゲン、剣道着忘れたらしいよ。」 ひぇーっっ! そういえば昨日、稽古が終わってから脱いだ剣道着・・・。防具袋には入れなかったのね・・・。 「先生が、現地の武道具店で新調してもいいかって・・・。お願いしますって言っておいたけど・・・」 げげぇーっ!剣道着上下新調って、一体幾らかかるんだろう。 引率の先生方にもどんなにご迷惑をかけているかと思うと、背筋に冷たいものが流れる。 あほやなぁ、ゲン。あほやなぁとおろおろするばかり。
すぐに折り返し、先生から電話があった。 別の道場のWさんという先生が、ちょっと遅れて、今から遠征チームに合流されるのだと言う。今すぐその先生の所に届けてお預けすれば、なんとか明日の試合に間に合うように持っていってくださるだろう。 「はぁ、ありがとうございます。そうさせていただきます。ほんとにご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。」 父さんただただ平謝り。 一度もお会いしたことがないWさんという先生の連絡先をうかがって、父さんとオニイが車で届けに行ってくれる事になった。
「ほんま、ゲンって奴はいろいろビックリさせてくれるよな。」 「はぁ、ほんまになぁ。」 残ったアユコと、目が合うたびにため息が出る。 引率してくださったI先生にも、他の道場の先生方にもずいぶんご迷惑をかけたのだろうな。 ゲンと言えば、この間の試合のときにも会場に剣道着の入ったかばんをそっくり忘れてきて、I先生には散々ご心配をかけたばかり。 「まったくもう、ここんちの親は・・・。」とあきれ返っていらっしゃるだろうか。 うわぁ、やだな。 かっこわりーなぁ。 もうちょっとちゃんとチェックして送りだしゃよかったなぁ。 ほんとうにもう、あほやなぁ、ゲンったらほんとにもう・・・。
「無事届けたよ。」 父さんとともに、W先生のところへ届けに行ってくれたオニイが帰ってきた。唐突に奇妙な頼みごとに現れた初対面の親子に、「よくあることですよ」と笑ってくださったそうだ。 「でもなぁ、剣士が試合に剣道着忘れていくなんて、決して『よくあること』じゃないよね。」 「うん、きっとあの先生も、内心では『アホなやっちゃな』とおもっているだろうけどね。 」 それでも、慌てふためいて駆けつけてきた親子に「ドンマイ、ドンマイ。」と、気持ちよく笑ってくださったW先生の受け答えは有難い。 弟の度重なる失敗を我が事のように責任を感じていたらしいオニイも、W先生のさわやかな対応振りに心動かされたようだった。 「オニイ、よく覚えておこうね。 こういう時には、『よくあることですよ』って言ってあげるんだよ。」 ゲンの大チョンボの教訓として、W先生の寛大なさわやかさをいただいておくことにする。
「ゲンが帰ってきたら、散々文句言ってやらにゃならんなぁ。」 忘れ物をとりあえず届け終わって、少し気持ちの緩んだオニイが笑う。 「だめだめ。そうじゃないでしょ。『よくあることですよ』でしょ?」 母もようやく軽口を飛ばして笑う。 二つの道があれば必ず三つ目の道を選ぶ。 いつも思いがけないビックリを唐突に持ち込んでくるゲン。 そのたびにオロオロ、ジタバタする母だけれど、せいぜい「よくあることじゃん」と余裕で笑ってやれる度量も必要。
・・・って、ほんとは子どもの初めての旅行荷物をちゃんとチェックしておいてやるだけの細やかさを持とうよね、自分。
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